原爆投下から74年
吹田市「平和の塔」献花式に多くの市民がつどう
非核・平和で住みよいまちづくりへの決意あらたに
献花式
2019年7月20日、JR吹田駅前のさんくす夢広場において、吹田市平和の塔献花式が開催され、実行委員会に参加する団体、労働組合はもとより、市長、国会議員、府会議員、市会議員のみなさん、市民のみなさんが集い、平和への誓いをあらたにしました。
平和の塔は、1960年に吹田市民の寄付と吹田市の協力で、当時の国鉄吹田駅前に建立されました。その後の駅前再開発事業により、一度は撤去されたものの、1980年に多くの市民の手により、さんくす広場に再建され、さんくす広場がさんくす夢広場にリニューアルされた時に、吹田駅中央口正面に移設されました。
広島・長崎の方角である西の空に今にも飛び立とうとする鳩の像の足元には、吹田市非核平和都市宣言が刻まれた石碑もあります。
献花
午前8時に始まった献花式は、「原爆許すまじ」の合唱で幕を開け、74年前のアメリカの原爆投下により、尊い命を失ったヒロシマ・ナガサキの犠牲者と戦争で亡くなられたすべての犠牲者のために、参加者全員で黙とうをささげました。
「平和の塔」実行委員長の金戸省三・吹田市社会福祉協議会会長は、平和の塔のもとにつどい、平和の誓いをあらたにしようと呼びかけ、「一昨年7月、核兵器を持つことも、使うことも禁止する「核兵器禁止条約」が国連で採択され、核兵器廃絶に向けた大きな一歩を刻みました。核兵器禁止条約への署名や批准、参加を日本政府に求める意見書の採択も、全国で400を超える市町村に広がっています。この74年間、核兵器が一度も使用されなかったのは、「ヒロシマ・ナガサキをくりかえしてはならない」との被爆者の声とそれを願う人々の行動によるものです。今年こそ、「核兵器のない世界への転機の年」としていくために、平和で住みよい世の中をつくりあげることを誓いあうとともに、私たち吹田市民の平和を希求するシンボルである「平和の塔」と「非核平和都市宣言」を刻んだ碑文が、世代をこえて末長く伝えられることを願います。」と挨拶をされました。
来賓を代表して、後藤圭二吹田市長、吉瀬武司吹田市議会議長も挨拶をされました。
平和への誓いを込めた献辞の朗読が行われた後、参加者が見守る中、豊一地区子ども会、山手地区子ども会の子どもたちから、広島・ナガサキの両市にある平和祈念公園内の「原爆の子」像にかかげる千羽鶴が被爆者のみなさんに伝達されました。
最後に、ひとりひとりが非核平和の決意と願いをこめて献花を行い、平和の塔の前に供えられた献花台は白い菊の花で埋め尽くされました。
吹田市非核平和都市宣言
真の恒久平和は、人類共通の願いである。
しかるに、近年、世界において軍備の拡張は依然として続けられ、世界平和に深刻な脅威をもたらしていることは、全人類のひとしく憂えるところである。
わが国は、世界最初の核被爆国として、また、平和憲法の精神からも再びあの広島・長崎の 惨禍を絶対に繰り返させてはならない。
吹田市は、日本国憲法にうたわれている平和の理念を基調に、市民の健康で文化的な生活の向上をめざし“すこやかで心ふれあう文化のまち”づくりをすすめており、平和なくしては、その実現はありえない。
よって、吹田市は、平和を希求する市民の総意のもとに、わが国の非核三原則が完全に実施されることを願うとともに、核兵器の廃絶を訴え、ここに非核平和都市であることを宣言する。
昭和58年(1983年)8月1日 吹田市