丹羽野 東日本大震災からすでに4ヶ月以上が経過しました。しかし復旧復興は遅々として進まず、被災者はいまだに不自由な避難所や仮設住宅で生活されています。そんな中いち早く被災地を訪問し、支援に入って来られたお二人をゲストにお迎えしました。まずは自己紹介からお願いします。
鴨井 さつき障害者福祉会で勤務しています。今回の地震と津波被害をテレビで見て、「障害者が危ない!」と感じました。4月4日から10日まで被災地に入り、JDF(日本障害者フォーラム)の被災地障がい者支援センターを立ち上げるため、現地調査をしてきました。それ以後、現在まで大阪からは毎週福祉作業所職員が、現地に入って支援活動を続けています。
先発隊として避難所を1日に5?8カ所回りました。しかし避難所には障害者がいなかったのです。段ボール一枚で仕切られている集団生活では、障害者は「うるさい」とか「動き回る」などと、嫌がられてしまうのです。余震が頻繁に起こって危険な中、自宅や知り合いの家でひっそりと過ごしておられる方が多かったのです。
松村 吹田市水道部の浄水課に勤務しています。地震と津波がライフラインを寸断しました。生活に欠かせないのが水と電気です。日本水道協会が全国的な支援活動を展開しまして、大阪支部は岩手県への派遣となりました。私は3月19日、第2陣として岩手入りしました。一週間サイクル、5月末時点で、吹田からは延べ100人くらい被災地入りしました。最初は現場も混乱していて、どこで何をしたらいいか分かりませんでした。本部の盛岡市へ行き、第1陣は宮古市で活動したのですが、私たち第2陣からは大船渡市へ。以後、大船渡では主に吹田市と豊中市が給水活動に当たりました。
丹羽野 早い段階で現地に入られたお二人なので、大混乱の中の救援活動だったと思います。例えば給水車で現地入りするのも一苦労だったとか。
松村 地震直後に大雪が降り、第1陣ではスリップする車もあったようです。地震のために道路が寸断されていて、ところどころ穴があき、危険な箇所もありました。ようやく被災地に到着した後も、職員の手が足りず、仕切れていませんでした。避難所では自衛隊なども給水を始めていたのですが、ギリギリ津波の被害から免れたところなどで自宅避難されている方々にうまく水が届いていませんでした。指示や情報が二転三転する中、大船渡市の「台町公園」という所で給水活動を始めることができました。
丹羽野 食料なども避難所には届くけれど、そうした一般被災家庭への配布が難しかったようですね。
鴨井 障害者も「崩れかけた家」で生活していたんです。自宅が完全に壊れた方は親戚の家を点々としていたり。ずっと車椅子から降りられず、高齢者の母親と一週間、自宅で過ごしている障害者もいました。トイレ介助ができない、食事もあまり届かないので飢餓状態でした。「障がい者支援センター」にもっと早く連絡があれば、対応できたのですが…。 普段から作業所などの福祉施設に通っている障害者は安否確認がとりやすいのです。しかし、このように自宅で過ごされている障害者にとっては、外部との連携が命。本来は行政が把握しているのですが、その市役所や町役場が流されたりしてますので、手が回らないのですね。また安否確認ができるといっても、作業所自体も大変な状況でした。作業所はバリアフリーになっているので、例えば20名定員のとある作業所に250名の障害者と職員がずっと泊まり込んでいたのです。約200名の障害者に50名の職員が、ギューギュー詰めになって。中には「一ヶ月もお風呂に入っていない」という障害者もおられました。
松村 震災直後だったので私たちも宿泊場所が決まらない中での救援活動でした。親切な自治会長さんがおられて、「家に泊まり」と。活動1日目はご自宅にお世話になりましたが、自治会長さんは被災者の受け入れもされており、私たちが泊まれば、新たな被災者が泊まれなくなるので、ご厚意を遠慮しました。実際に公園で給水活動をはじめると、みなさん大喜びでした。遠くから20リットルのタンクを担いで順番待っていただいて。最初は台車もなかったので、年配の方には、一緒に担いで家まで持って行きました。東北の方々は謙虚なので、大きな袋に水を入れようとすると、「私は小さいのでいいです」と遠慮されるのです。これが大阪なら「大きいのに入れて」となるでしょうね(笑)。 テレビで見ていましたが、実際の津波被害は想像を絶するような大災害でした。しかしそんな中でも人々はたくましく生きようとしていました。水道部で仕事をして10年目ですが、これほど人々に喜ばれる仕事をしたのは初めてでした。
丹羽野 この震災では、市町村役場が災害対策本部となり、あらためて自治体の役割が重要だと感じました。現地自治体職員のがんばりはいかがでしたか?
鴨井避難所では職員の方々が受付をして、きめ細かな情報提供や食事提供などで奮闘されてましたし、自治体から派遣された保健師や医師も健康相談など貴重な仕事をされてました。ただ、行政によって対応の差もありました。ファックス一枚で情報を流しているところがある一方で、村長さん自身が毎日避難所を訪問し、被災者と対話しているところもありました。障害者支援にとって大事なのが障害者手帳の情報です。その情報は自治体だけが持っていますから、本来は、一人ひとりの障害者を回って安否を確認するのは自治体の仕事です。ですが、職員の数が足らない、データが津波で流されている、などで状況がつかめていないところも多々ありましたね。
丹羽野 行政がやらないと誰もできない仕事ですね。本当は住民にとって身近なところに役場がある方がいいのですが、「平成の大合併」で自治体規模が大きくなり、職員の数も大幅に減らされています。やはり小さくても住民の身近なところに役場がある方が、災害に強い街づくりができるのだな、と確信しました。
鴨井 地震が起こると、障害者は健常者の2倍の被害を受けるのです。普段から防災訓練をしていても、目が見えない、耳が聞こえない、自由に歩けない障害者は、逃げ遅れて亡くなる確率が高いです。そして地震後の生活再建も。例えば岩手県の水産工場は大部分が津波で流され、産業が復興していません。作業所では、水産加工の一部を請け負って仕事をしていたのですが、肝心の漁業が復興しないと、失業してしまいます。まずは流された船を港に戻して、養殖の施設を復旧させ、その後に水産加工業が復興し、最後に作業所での仕事が始まる。かなりの時間が必要です。だからこそ、行政が先頭に立って産業復興の支援を行ってほしい。それと災害に強い街づくりを。今後は高台に町を作るべきだと思います。耕作できなくなった田畑を買い取ったり、水産加工施設を持つ中小業者は二重ローンに苦しみますから、その借金問題の解決の道筋などなど、行政がやらねばならない仕事は山積みですね。
松村 そうした生活復興を支えるためにも上下水道の復旧が急がれます。幸いにも今回の地震では、水道管自体の破損箇所は少なかったようです。しかし岩手では井戸水に海水が入ってしまいました。海水を取り出し、水をきれいにする作業は、今、大阪市と大阪府が行っています。
丹羽野 今お二人から行政の仕事の重要性が指摘されましたが、肝心の政府が、政権を巡る迷走劇を繰り返していて、被災地の復興が後手後手に回っています。阪神大震災を上回る大災害なので、本来なら、もっと早く動かないとダメです。その上に原発の事故がありますから…。
鴨井 「屋内退避」などと中途半端な状態で長期間留め置かれ、そして「自主避難」でしょう?最後には「とにかく村を出ろ!」と着の身着のまま強制退去となり、体育館での避難所生活。いつ帰れるか分からない状態で、農作業もできるかどうか分からない。酪農家は牛や豚をそのままに逃げざるをえなかったし、大量の汚染水が海に放出され、漁業もどうなるか分からない。この原発事故は計り知れない被害を生じさせました。心配なのは、住民の間に広がる格差と差別です。公民館などに町ごと避難してきているのですが、地域の方々は普通の格好でやって来られますが、そこに住んでいる被災者はジャージ姿だったりします。また学校でも「放射能が付いていて汚い」などとイジメもあると聞きます。
丹羽野 今回の原発事故の恐怖は、関西に住む私たちも肝に銘じなければいけませんね。福井県の敦賀湾にある原発が事故を起こすと、20?30キロ圏内の琵琶湖がやられます。そうなれば飲料水パニックになりますよ。東北や関東と比べると、関西はまだ遠い出来事のようなムードもありますが、非常に危険な「もんじゅ」や、40年以上経過して老朽化した美浜1号など、福井の原発銀座には今すぐにでも廃炉にすべき原発がたくさんあります。この事故を教訓に、日本も脱原発へ舵を切ってほしいですね。 では最後にお二人から一言ずつ。
松村 現時点では被災地もだいぶ落ち着いてきて、給水支援はいったん終了しています。しかし断水がまだ何万カ所も発生していますので、まだまだ復旧していません。今後も、いつ支援要請があってもすぐに駆けつけることができるように、被災地への協力を惜しまないつもりです。地震と津波でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々が一日も早く元気を取り戻すことができるような支援を続けていきたいです。
鴨井 宮城や岩手の作業所は、海沿いにあるところが半分くらいあって、多くがつぶれたり流されたりしています。作業所に通っていた障害者たちは、日がな一日、どこへも行かず家で生活していて、家族の負担も限界に近づいています。障害者一人ひとりが抱える問題は様々なので、それを把握して、福祉サービスを展開しなければなりません。そのために福島と宮城で「JDF障がい者支援センター」を立ち上げたのですが、岩手はまだ。早急に全ての被災地で、障害者が元気に社会参加できるための組織を作りたいと思っています。
丹羽野 自治体で働く職員の労組として、気になるのが復興事業です。阪神大震災のときのような大企業、ゼネコン中心の再開発では、地域は活性化しません。神戸の駅前にはきれいなビルが並びましたが、大手チェーン店ばかり。昔からの商店街はさびれています。東北の復興街づくり計画には、ぜひ自治体が音頭をとって、被災した住民たちの意見を取り入れてほしい。被災地の復興、脱原発で自然エネルギーの導入など、たくさんある課題を住民本位で進めていってほしいですね。私たち一人ひとりに何ができるか、何をすべきなのか。今日は、実際に被災地入りしたお二人の体験談から、貴重なヒントをいただいたと思います。どうもありがとうございました。