SUITA市民しんぶん(2006)
大阪YWCA元副会長。日本YWCA反原発・核兵器廃絶プロジェクト委員を務め、非核平和を訴える
浄土真宗本願寺派住職吹田市人権施策審議会委員を3年務める
世論調査=九条改悪反対60%、住民の多数派は「反戦」吹田市職員労働組合執行委員長/吹田市「平和の塔」実行委員会事務局長/「九条の会」に賛同する吹田講演会事務局
岩根良委員長「すいた市民しんぶん」新春座談会のゲストは、千里寺住職の武田達城さん、大阪YWCAの末吉佳世子さんです。昨年の総選挙で小泉自民党が大勝し、国会では憲法を変えようという動きが急ピッチで進んでいます。また民主党の前原代表も就任早々、国防軍の創設やアメリカとの集団自衛権などを言い出して、下手をすれば小泉さんよりタカ派の発言をされています。しかし世論調査では憲法九条を変えることに反対する人が60%を超えており、やはり住民の多数派は「反戦」だと思います。本日は仏教、キリスト教と宗教の違いはあっても、それぞれ草の根レベルで平和を訴えておられるお二人から、戦争反対、憲法守れの熱いメッセージを寄せていただきたいと思います。
宗派を越えて地道に平和活動 武田作家の井上ひさしさんや大江健三郎さんたちが「九条の会」を立ち上げられ、その後各地で「憲法九条を守ろう」という声が広がっています。私も「大阪の宗教者九条の会」に参加しています。このたび、浄土真宗で平和の声を上げていこう、と「本願寺九条の会」を結成しようとしたんです。すると、「浄土真宗だけやったら枠が狭い」という声が出て、昨年7月に「念仏者九条の会」を結成しました。教団の機関紙に意見広告を出したり、「仏教と憲法九条」と題する全国集会を開催したり、同名の冊子を出版したりと、運動を繰り広げてきました。「九条の会」を通して「今まで一緒に活動してこなかった人たち」と連帯することができたのです。平和を守ろう、という一点で大同団結できたことが嬉しかったですね。とはいえ、宗教者全体を見渡せば、まだまだ意識が高まっていない、というか、無関心な方も多いのが現状ですが。
末吉YWCAは世界120カ国、日本では27の地域で活動しています。YWCAでも「憲法九条の会・関西」を10年前に結成して、地道に平和活動をしてきました。アメリカで反戦活動を続けるオーバービー教授を招いて講演会をしました。その中でオーバービーさんは「憲法九条は素晴らしい」と言われました。海外の人々が私たちを勇気づけてくれています。YWCAは3年に一回全国大会を開くのですが、常に「憲法を守ろう」「日本を戦争する国にさせてはいけない」というスタンスです。
岩根確かに「平和が一番」というのは万人共通の願いだと思いますが、しかし忙しい中で、「この運動を中心にすえる」「これが一番だ」とお二人が強い気持ちを持たれる、その背景って何ですか?
武田お釈迦様は「相手を殺してはならない」と教えていますが、一方で「殺さしめてもならぬ」と説いています。時には利害が対立してけんかになる場合もあるでしょう。しかしその解決に武力を使ってはならない。殺し殺される道具となる武器の売り買いはしない。戦争になりそうな時、外交努力で、話し合いで解決する方法を考える。それが憲法九条です。アメリカ軍にイラク人を殺させてはならないわけで、戦争を未然に防ごうというのが、仏教者の本来の立場です。
末吉YWCAはキリスト教を基盤としている団体です。聖書は「生命を尊ぶ」という精神ですから、当然「命を脅かすもの、つまり戦争には反対」ということになります。私どもは外国のお客様の訪問を受けることが多いですが、先ほども言ったように憲法九条の評価がとても高いのです。よそから褒められているものに、もっと誇りを持とうよ、と感じます。
侵略戦争に協力した教団の歴史 岩根今、聖書の話がありましたが、ブッシュ大統領は「アフガン、イラク攻撃は神の声だった」と。宗教的な威信にかけて、「テロとの戦い」に勝利する、などと言いますが。
末吉聖書は色々に解釈されてしまうんですね。ブッシュ大統領は聖書本来の意味ではなく、自分に都合の良いように聖書を解釈されているのだと思います。自分の声を「神の声」と偽っています。イラク戦争が始まる時、「キリスト教を使って戦争を正当化してはるよ、絶対に許せない!」って、みんなで憤っていました。
岩根そんな意味では、時の権力者は宗教を上手に使いますね。大問題になっている小泉首相の靖国参拝もそうです。浄土真宗では教団として、公式参拝に反対されていますね。
武田日本は先の戦争に対してきちんとした反省をしていません。仏教教団は戦前、あの侵略戦争に協力したのです。敵の砲弾に当たって死んだら極楽浄土へ行ける、喜んで弾に当たってこい、と人々を戦争に駆り立てたのです。そんな歴史があるのに、「一億総ざんげ」「東京裁判」だけで、戦争指導者や、それに協力してきた宗教者の責任をあいまいにしてしまった。恐ろしいのは、本来嫌なこと、悲しいことを、宗教は嬉しいこと、名誉なことに変えてしまうのです。戦争に行って息子が死んだ。これは悲しいことです。しかし「お国のために立派だった」と靖国に祀られると、「息子の死は名誉だったんだ」となる。だから戦争体験者から「坊さんには『平和』を語る資格はない」と手厳しいことを言われます。本願寺が戦争に協力したことを、人々は忘れていないのです。仏具や鐘まで供出して、鐘つきのお堂で出陣式までやったのですから。
このような事実を語ることは不愉快かもしれません。しかし宗教者は自らを問い直すべきなのです。「なぜ南無阿弥陀仏をとなえながら、『敵を殺せ』と言ったのか?」と。靖国は国民を戦争に駆り立てる「装置」です。だから恐ろしい。宗教者がもっと公式参拝反対の声を上げないとダメです。
岩根国家神道が戦争を推し進める道具となった、とは聞いたことがありますが、仏教もそうだったのですね。
武田まだ神道のほうが素直でしたよ。「武運長久」というお守りの精神だった。しかし仏教は「喜んで死んでこい」ですから。
戦争を風化させない。沈黙は… 岩根歴史を知ることって大事ですね。というか、そんな事実をこそ、もっと知らせていかないとダメですね。
武田今、改憲派は「憲法はGHQに押し付けられたものだった」と盛んに言いますが、作家の大江健三郎さんによると、「人々は喜んで受け入れた」そうじゃないですか。押し付けかどうかが問題ではなく、「エエもんはエエ」んですよ。政府はさまざまな口実を設けて、憲法を変えようとしてきます。私たちはそれを論破していかないとダメです。
末吉黙っていると賛成と思われます。毎年8月になると、原爆や大空襲の被害者を追悼します。その時、なぜこれほど悲惨な戦争にみんな反対しなかったか、と後悔するわけです。戦争を風化させないことは、私たちの義務ですよね、その義務とともに、「黙っていたこと」への反省も伝えていかねばならないと思います。
武田戦前は「戦争反対」といっただけで厳しい弾圧を受けたそうです。弾圧を受け、ひどい目に会うと、人間は黙ってしまうものです。浄土真宗の歴史がまさに弾圧の歴史でして、一向一揆をやった所は弾圧の恐ろしさを骨身に染みて知っている。一揆に失敗すると、お上に物を言わなくなるのです。親鸞や法然は権力を批判して弾圧され、結局浄土真宗は体制側になびいてしまうのです。そんな歴史がありますから、先の戦争でも、権力が恐ろしいからと、イヤイヤ協力したのではない。むしろ仏教者が積極的に協力していった。そこを反省すべきです。
戦争被害と侵略の事実を知る 岩根原爆などの戦争被害と共に、日本が中国や韓国を侵略し大量の人々を虐殺した、という事実から目をそむけてはいけないと思いますが、その歴史を伝えようとすると、「自虐史観だ」とか、「虐殺そのものがなかった」などという横やりが入り、ひいては戦争そのものを美化しようとする教科書まで作られる始末です。
末吉YWCAでは教科書問題にも力を入れています。日本と韓国の教科書を調べましたが、戦争部分の記述は、韓国が日本の数十倍です。韓国の若者は戦争の歴史を知っています。一方、日本では従軍慰安婦や沖縄戦の記述がなくなろうとしています。韓国では親が子どもに戦争を語り継いでいますが、日本では話題にすら上らない家庭が多いようです。実際にYWCAで韓国からの留学生を受け入れていますが、「加害者は日本だった」とハッキリ言う学生が多いです。一方日本の学生はそんな主張はしません。政治的なことや歴史的な事件について言わないのではなく、言えないのだと思います。事実を教えられていませんから。
武田対照的なのがドイツですね。ヴアイツゼッカー大統領は「ドイツ国民のしたことをいつまでも心に刻まねばならない。過去に目を閉ざしてはならない」と演説しました。だからナチスの侵略行為についてドイツは徹底的に謝罪します。若者たちの間で「もうええやないか」と言われても、毅然と謝罪するわけです。同じ頃、日本は教科書から省け、消してしまえ(苦笑)。そして「心のノート」ですよ。自分の街を好きになろう、国を愛する子どもになろう、と。でもね、戦争犯罪について謝罪もしない国や指導者を好きになれますか?憲法を変えて青年を戦争に巻き込もうとする国を愛せますか?
市はもっと非核三原則の広報を 岩根吹田市はそのような戦争反省の上に立って、昭和58年に非核平和都市宣言を行いました。吹田という地域や行政について、何か注文などはありますか?
末吉私は常々、吹田市が非核平和都市宣言していることを自慢しているんですよ。子どもが小学生のときに家庭学級でPTAも非核三原則を勉強しました。YWCAは70年初頭から「核」否定の思想に立っています。それで全国の仲間に「私の住んでいる吹田市は非核です」と宣伝しています。でも最近では非核3原則も知らない若者が増えています。吹田市はもっと市報などで知らせていくべきですね。
岩根九条の会など草の根から市民が平和を発信し始めましたが、もう一つ大事なのは地方自治体が「戦争反対」、「憲法守れ」の声を上げていくことが大切だと思います。戦前は地方自治がなく、知事も任命制で、市役所の仕事は税金を集め、軍事教練し、赤紙を配ることでした。でも今は違います。東京都国立市の市長などが戦争反対の声を上げ始めています。
武田国会だけに任せるのではなく自治体も声を上げていくべきですね。自衛隊のイラク派兵もそうですよ。早く撤退させるべきです。朝日新聞に92歳の女性の投書が載っていました。「小泉少年よ、君のような子どもが戦争ごっこをするな!私は黙って死んでいこうと思っていたが、これを言わねば死にきれない」と。国のためとか人道支援などの美名の裏で何が行われているのかきっちり見極めて、吹田市もこの92歳の女性のように、積極的に「戦争反対」の声を上げてほしいですね。
核廃絶、平和のネットワークを 末吉戦争とともに私たちが危惧するのは地球の温暖化です。温暖化で「砂漠か洪水か」という地球になりつつあります。アフリカやアフガンでは砂漠化が進み旱魃で飢えています。アメリカや日本が石油を燃やして、そのために地球が温暖化し、石油を燃やしていないアフリカ、アフガンの人々が飢えています。
岩根今のアメリカのやり方は、発展途上国の資源を食いつぶして、自分の国だけ、もっと言えば一握りの「勝ち組」だけが幸せを享受する、という原理ですね。でもそれは行き詰る。今のイラク戦争がいい例です。そんな「弱肉強食」の世界ではなく、「もう一つの世界は可能だ」という運動も全世界に広がっています。格差を少なくして共存しようという世界に変えていかなければ、戦争はなくならないのかもしれません。
武田仏教の世界で「共命鳥」(ぐみょうちょう)という架空の鳥が存在します。頭が二つ、身体は一つ。片方の頭は昼間活動し、もう片方は夜行性。互いに仲が悪いので、ある日片方がもう片方に毒を食わせて殺してしまった。しかし身体は一つなのでその毒が身体に回り、毒を食わせた方も死んでしまうのです。アメリカは石油を奪うためにイラクを侵略した。イラク人を多数殺したが、アメリカ人も多数殺された。これでは「共命鳥」ですよ。
私たちは宇宙船地球号に乗り込んでいる仲間なのだという発想が大事です。
末吉その意味で核廃絶の問題はとても重要です。アメリカ軍が使用したと言われている劣化ウラン弾や原発からの核のゴミで地球は汚されています。そんな事実を若い人たちに伝えていきたいと思っています。
武田仏教者は政治には口を出してはならない、という「へんな伝統」があって、今まで宗教者はあまり時の権力者に対して意見を言いませんでした。でも日本が戦争をする国に変えられようとしている時に、黙っていたり無関心であったりしてはいけません。宗教者だけではなく、科学者や学生、労働者など、平和を希求する人たちのネットワークを作る時期だと思っています。
岩根その意味でも吹田全体での九条を守る運動をもっと広げていきたいと思っています。この座談会が団体や主義主張の枠を超えて幅広い平和の声を束ねていく良いきっかけになればいいなと感じました。今日はありがとうございました。
イラクに被爆アオギリを植樹しよう03年11月、私はイラク戦争の傷跡をカメラに収めようと思い、初めてイラクへ赴いた。バグダッドで見た現実は私の想像を超えていた。写真1の子どもは白血病の末期だった。アメリカが投下した劣化ウラン弾による放射能被害だと思われる。彼はこの写真を撮影した後、5か月で他界した。わずか4年半の人生だった。
写真2の子どもは9歳だった。父親が湾岸戦争に行き、そこでウラン弾を浴びた。この子は被爆2世として生まれてくるが、今回のイラク戦争でまたまたウラン弾を浴び、首筋のがんがみるみる大きくなりこのような姿になった。今生きていれば11歳になるはずだ。
写真3の赤ちゃんは生後3ヶ月。背中に大きな腫瘍を持って生まれてきたこの赤ちゃんは、すでに下半身が麻痺しており、仰向けになって眠ることさえできなかった。泣き叫ぶ赤ちゃんを、ただ抱きかかえることしかできない母親。この赤ちゃんは04年1月、わずか5ヶ月の人生を閉じた。
戦場で兵士だけが死ぬのなら、まだ話の筋は通っている。米兵もイラク兵も給料をもらい、国家の命令を受けて殺しあったのだから。でも実際には兵士よりも普通の人々がより多く、戦争の巻き添えを食らって死んでいく。残された地雷、クラスター爆弾の不発弾、そしてウラニウムの放射線…。
被爆アオギリをイラクと日本を結ぶ平和の樹に60年前の広島もそうだった。殺された人のほとんどが一般の人々。結局カミカゼは吹かず、「勝っている」と信じ込まされていた戦争は、実はボロ負けだった。 爆心地から1.3q、広島逓信局(現在の日本郵政公社中国支社)の中庭で被爆したアオギリ。幹の半分が熱戦と爆風でえぐられたが、樹皮が傷跡を包むようにして成長し、焦土の中で青々と芽を吹いた。広島のヒバクシャたちはそのアオギリを大事に育て、被爆アオギリ2世、3世と命のリレーをつないでくれていた。
その苗木を私に分けていただくことになった。苗木をイラクに植えて、そこを平和公園にする。アオギリはイラクと日本を結ぶ平和の樹となり、樹のそばには平和のモニュメント。イラクが安定したら多くの日本人、特に若者たちにその公園を訪れてもらう。広島、長崎のヒバクシャとイラクのヒバクシャが互いに訪問しあってもいい。夢はふくらむ。
劣化ウラン弾の被害が最も大きいのはイラク南部の都市バスラである。バスラの有力者にメールを送った。「被爆アオギリを植えて平和公園を作りたい」という申し出は大歓迎され、私は特別招待の身分になった。問題はビザだった。日本政府がイラク政府に圧力をかけていて、日本人ジャーナリストにはイラクビザが下りなくなっていたのだ。
バスラを目前に強制送還入国不可は日本だけ05年11月、中東へ飛んだ。隣国ヨルダンからイラク入りを伺ったが、「ビザなし」の私はバグダッド空港で寸止めされ、ヨルダンへ強制送還された。
もし入国できていたらサマワにも行っただろう。本当にサマワは非戦闘地域なのか?自衛隊は歓迎されているのか?そんなことが全く報道されないまま、小泉首相は自衛隊派兵を1年延長した。1日駐留するだけで約1億円の税金が使われる。10日早く撤退すれば10億円が浮くのだ。その分を白血病の薬にしてイラクの病院に送ってあげれば、どれだけの命が救われるだろう。まして自衛隊は今、水さえ作っていない。本当に必要なのかどうか、きちんと検証してから駐留するか、撤退するかを決めるべきなのに…。
かくして私のバスラ行きは断たれた。しかしバスラの人々も私もあきらめてはいない。時機を見て、日本からの募金とアオギリの苗木を携えて現地を訪問する予定だ。
支援なしには命の灯は消える、待たれる抗ガン剤写真4はアンマンで出会ったモハマド君(12歳)。彼はアメリカが劣化ウラン弾で破壊した戦車の墓場で遊んでいて白血病になった。一緒に遊んでいた15歳のいとこは昨年9月に亡くなった。「もう絶対に戦車の墓場では遊ばない」と誓うモハマド君だが、容態はすぐれず、治療費も底をつきかけている。
イラクの悲劇は「現在進行形」で、すぐに抗がん剤などの薬を届けるべきだ。ところが今のイラク政府は、こうした人道支援を拒否する。なぜか?
アメリカは劣化ウラン弾を使用したことは認めているが、それによってがん患者が急増していることは認めていない。で、薬は必要ないという考え方。今のイラク政府はアメリカの言いなりなので、がんの子どもがバタバタと亡くなっているのを横目で見ながら「必要なし」と拒絶するのだ。仕方なく今回は食用油を送ったが、次回は何とかして薬を送りたいと思っている。
最後に「イラクの子どもを救う会」へ募金いただいたみなさんに、紙面を借りてお礼を申し上げたい。どうもありがとうございました。