フセインが処刑され、ただでさえ混乱続くイラクが、今や1日に100人単位で人が殺される内戦状態に突入した。首都バグダッドは戦場そのもので、スンニ派は西へ、シーア派は東へと逃げ始め、「分断都市」の様相を呈している。
ブッシュ大統領は急遽2万2千人もの米兵を増派したが、これはまさに「火に油を注ぐ」事態を招き、イラク人、米兵双方で、今後ますます貴重な命が奪われていくだろう。
(フリージャーナリスト・西谷文和)
フセインはなぜ「急ぐように」処刑されたのであろうか?
クルド人虐殺問題が審理されている最中に、「慌てて」殺されてしまった。私は、これは「口封じ」だと思う。
サダムフセインの犯した最大の罪は、クルド人大虐殺だ。写真の2人はフセインの毒ガス攻撃を受け、辛うじて生き残った母娘。何しろ虐殺されたクルド人は10万人を越えるともいわれる。
この罪を問う裁判中に、「わずか」148人虐殺の「別件」で死刑にされた。これでは、殺された方、残された家族、毒ガスの後遺症で悩む人々の気持ちは浮かばれないのではないか?
図で説明しよう。1979年、イランでイスラム革命が勃発する(図[1])。それまでのイランはアメリカの同盟国だった。しかしアメリカの支配に抵抗する民衆が立ち上がり、パーレビ国王を追放、なんと「ホメイニ革命」を成し遂げてしまった。
ホメイニ革命に続いて、イラクやクウェート、サウジ、UAEなどイスラム諸国の民衆が、「イラン革命に続け」と、立ち上がる。
ホメイニはこの立ち上がったシーア派イスラムを支援する(図[2]、[3])。アメリカは何としても、この「革命の波」を食い止めなければならなかった。
それはなぜか?サウジ、イラク、クウエート…。世界の埋蔵石油の半分を占めるこれら「金のなる木」を、アメリカと敵対するイスラム国家にしてはならなかった(図[4])。
ここでフセインが利用される。「隣国イランは革命をしたばかり。軍隊も弱体化。フセインよ、君が攻めていったら勝てるぞ」。アメリカ、イギリスなど西側のささやきに、乗せられるフセイン。
彼は一方的にイランに攻め込んだ。こうして「イラン・イラク戦争」が始まったのだ。しかし自力に優るイラン軍の反撃にあい、いつしかイラク不利の状態に。
ここでアメリカが動く。何としてもイラン・ホメイニに勝たせるわけにはいかない。必然的に、アメリカはフセインを応援したのだ。
そして運命の1988年、戦争のゴタゴタに乗じて、弾圧されてきたクルド人が「打倒フセイン」で立ち上がる(図[6])。あせったフセインが、立ち上がったクルド人たちに毒ガスを使用。こうしてイラン・イラク戦争は終了する(図[7])。
しかしフセインは不満だった。「戦争の褒美はないのか!」。
絶妙のタイミングでアメリカがささやく。「褒美を取りに行ってもアメリカは黙っているよ」。
そしてフセインはクウェートに侵攻。ここでアメリカは手の平を返す。「クェートを侵略するとは、何事だ!」。多国籍軍が作られ、湾岸戦争に突入。
つまり、「クルド人大虐殺」の真相を明らかにすれば、「ブッシュとフセインの本当のつながり」がばれてしまうのだ。
裁判を公開し、被告フセインが、べらべらとこの本当の関係についてしゃべってしまえば、ただでさえ窮地に追い込まれているブッシュ親子にとって都合が悪い。
だから世界中の人々が、「まだまだ真相が明らかになっていない」と感じているにもかかわらず、処刑に踏み切ったのだと思う。
今回のキーワードは「アメリカの仕掛けたウソにだまされるな」だ。