文と写真・西谷 文和(ジャーナリスト)
私は07年10月、7度目となるイラク取材を敢行した。日本ではイラク戦争の実態が報道されなくなって久しい。現地の状況は米軍の空爆に加えてアルカイダのテロ、スンニ派・シーア派の内戦状態、武器があふれ、治安が悪くなったための単なる盗賊団の無法行為…。
イラクの現状は最悪の状況だ。現在進行形で進む戦争の実態をご覧いただきたい。
「やばっ!あいつテロリストと違うか」。私たちの車に向かって覆面&サングラスの、肩からカラシニコフ銃を担いだ男が近づいてくる。ここはイラク北部、石油で有名な都市キルクーク。前日も自爆テロや銃撃戦があり、警察署長が撃ち殺されたばかり。
彼は警官だった。勤務中に顔を見られると、勤務時間外にテロリストに襲われてしまうので、護衛のために顔を隠しているのだった。
自爆テロ現場へ。現場は古ぼけた商店街の一角。爆薬を積んだ自動車を路肩に駐車させて、携帯電話で爆発させたようだ。犯人はスンニ派のアルカイダ系と発表されている。自動車が停まっていた場所に、大きな穴が開いている。破壊されたビルの中へ。ドアが吹き飛ばされ、自爆車のホイールやボディの破片が散らばる。
隣の肉屋さんは全壊。崩れ落ちたブロックの下敷きになってここで2人亡くなった。散乱するブロックの下から血が流れ、地面に血の池ができている。その血にハエが群がっている。「友人の友人がアルカイダ」と交友関係の広さを「自慢」した政治家がいた。もしこんな発言をテロ被害者が聞いたら、いったいどう思うだろう…。
テロ被害者を取材するため、キルクーク病院へ。カマルさん(32歳)は、あの肉屋さんの前で並んでいた。一瞬の閃光、気がついたら足、胸、腹、頭に爆弾の破片が飛び込んでいた。
「アゥー、アゥー」、窓際のベッドからうめき声が。「あぁこれはひどい」思わずため息が漏れる。ムラート君(13歳)の右目はつぶれ、頭には大きな包帯、そして全身大やけどを負っている。左胸に刺さった破片が心臓近くに達しているため、危篤状態。早くこの破片を取り除かねばならないが、キルクーク病院には手術できる設備がない。
「この病院では、この子は死んでしまう。設備の整った病院へ移送してくれないか?」ムラート君の叔父が英語で状況を説明する。叔父によれば、昨日トゥーズフルマートゥーという町で自爆テロがあり、4人が亡くなり、20人が負傷した。死亡者の内3人、負傷者の内16人が子どもだった。つまりテロリストは子どもを狙ったのだ。私にも同年齢の息子がいる。ムラート君を救出することを決断。キルクーク病院から設備の整ったスレイマニア大学病院へ移送することにした。
4日後、再びキルクーク病院へ。2階に上る。階段右手の病室から廊下へ血が流れ出している。昨日テロリストに銃撃された患者が、たった今亡くなったのだ。ここはまるで野戦病院だ。
ムラート君は少し落ち着いていた。ストレッチャーに乗せて救急車まで運ぶ。ここからスレイマニアまで2時間を持ちこたえてくれれば、生き残れる。私たちは祈るような気持ちで救急車を追いかける。病院からチェックポイントまで20分程度。この間が危険。病院の門を出たとき、「ヤバニー、ヤバニー(おい、日本人が乗っているぞ)」と通行人が叫んだ。見つかったのだ!「デンジャラス!」通訳のファラドゥーンが叫びながらアクセルを踏み、猛スピードで駆け抜けていく。私はといえば、ひたすらチェックポイントまで後部座席に身を潜める。やがて…。無事チェックポイントを通過。
スレイマニア大学病院。診察した医師が「相当なトラウマを受けている。この子の将来は暗いものになるだろう。右目は絶望だ」と首を振った。
この戦争の結果、莫大な数の難民が生まれている。スレイマニア郊外に「カラア避難民キャンプ」がある。荒涼とした、草木も育たない砂と石ころばかりの赤茶けた大地。そこにこつぜんと数百のテントが現れる。埃と異臭にまみれた異空間。それがカラア避難民キャンプである。
「2006年3月にバグダッドから逃げてきた。最初、ここにテントを張ったのはわずか3家族だけ。しかしあっという間に広がって、今では見てのとおりだよ」。最初に逃げてきたワリードさんは、今や約150家族、500人にふくれ上がった避難民の代表だ。
テントとテントの間には生ゴミが山積みされて、そこに無数のハエがたかっている。衛生状態は最悪。
ファーティマさん(45歳)がテントの隅に寝転んでいる。一ヶ月前から徐々に体調が悪くなり、ひどい下痢に悩まされ、いまは寝たきりの生活になってしまった。胃の中に石が溜まっているらしく、病院に行くと「手術をしないと治らない」と言われた。しかしお金がなくてテントに戻ってきた。日本人が珍しいのか、それともビデオカメラが珍しいのか、インタビュー中に子どもたちがわんさか寄ってくる。いずれの子どもも学校に行っていないので、時間をもてあましているのだ。
木とロープで作った即席ブランコがある。この避難民キャンプの唯一の遊具。ブランコに乗る子どもたちの姿を撮影している時も、「病気なの、助けて」「援助を、お願い」など、各テントから私たちに声がかかる。
イラクは年中乾燥しているが、冬だけまとまった雨が降る。テントでは雨漏りがするし、夜間はかなり冷え込む。暖を取る手段が、薪を燃やすことと、家族全員で「添い寝すること」だけである。せめて毛布を配れないだろうか。このキャンプができてもう2年目を迎える。風邪による病死、下痢による衰弱死などは、統計上「イラク戦争での戦死者」にはカウントされないのだ。
この原稿を書いている時点で、国会では「3分の2条項」を使って、「新テロ特措法」が成立した。インド洋で給油を続けるかどうか、が議論の中心だが、肝心の「アメリカの戦争、テロとの戦いに協力すること」についてどうなのか、という議論はされなかった。人の命を奪い続ける戦争の是非について、真剣に議論してほしい。62年前、私たちは二度と戦争をしないと誓った。なのに日本は、戦争を停めようとせず、ひたすらアメリカに追随している。給油だけではなく、一切の戦争協力行為をすぐにやめるべきだと感じる。
西谷さんが代表を務める
「イラクの子どもを救う会」事務局は06・6192・7033
●同会への募金は、
三井住友銀行吹田支店 普通口座3712329
口座名義「イラクの子どもを救う会 西谷文和」
●郵便振込
口座番号00970-5-222501口座名義「イラクの子どもを救う会」