私は6月1日から13日まで、アフリカ・スーダンに入り、現地の状況を取材してきた。スーダンはアフリカ一面積の広い国で、激戦地ダルフール地方だけでも、フランスと同じ規模の広さ。この間の戦闘で約20万人以上が虐殺され、250万人が難民、国内避難民として逃げまどっている。そんなスーダンに、政府は突然、自衛隊派兵を言い出した。現在は調査官の派遣にとどまっているが、近い将来PKO法に基づいて、大規模な部隊を派兵する可能性がある。現地の人々は自衛隊派兵をどう考えているのだろうか?日本が果たすべき役割、本当の国際貢献って何だろうか?そんな問題意識を持って、現地へ飛んだ。
首都ハルツームに到着。ハルツームは白ナイル川と青ナイル川が合流する地点で、エジプトの支配を経て、イギリスの植民地となった歴史を持つ。住民はアラブ系が多数で、黒人はマイノリティだ。街ではアラビア語が話され、厳格なイスラム主義国なので、酒を売る店は皆無。たまに東洋系の人物を見かけるが、ほほ間違いなく中国人のビジネスマンだ。実際、私が市場などで買い物をしていると、アラブ人たちから「ニイハオ」とあいさつされる。
当初、ハルツームからダルフールに飛ぼうと考えていたのだが、甘かった。この国ではどこへ行くにも「国内移動許可証」が必要。やましいところがあるのか、ダルフール入りを目指すジャーナリストには、政府が難色を示し、なかなか許可が下りない。
いつ出るか分からない許可を待ち続けているわけにも行かないので、南部スーダンの中心都市ジュバに飛ぶことにする。
ジュバのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)を訪問。南部スーダンのスーダン人民解放軍(SPLA)とスーダン政府(北部・ハルツーム政府)の間で内戦が勃発したのは1983年。その後、この地は幾度となく戦乱に見舞われてきた。住民のほとんどは、隣国ウガンダやケニアに逃げた。その数は200万人に上るといわれている。ダルフール内戦でも250万人の難民を生み出しているから、合計で450万人。スーダンの人口が約3500万人ほどなので、国民の7人に1人は、家を焼かれたり、家財道具を奪われたりして、故郷を捨てているのだ。
2005年にスーダン政府とSPLAの間で包括的和平合意が成立。長かった内戦がようやく終わり、ウガンダやケニアに逃げていた難民が、南部スーダンに帰還し始めた。
ジュバのウエイ・ステーション(道の駅)へ。アフリカがあまりにも広大であるため、ウガンダやケニアから帰還するのも、1日や2日では故郷にたどり着けない。人々は1〜2週間かけて故郷に帰還する。その際、道中で宿泊する施設が、このウエィ・ステーションなのだ。雨季になれば、道がぬかるみ、時には川になったりするので、乾季の間に帰還せねばならない。また雨季前に種まきをしないと、穀物の収穫もままならない。難民たちは20年ぶりに見る故郷に心をときめかせつつ、農作業への不安を抱えつつ家路を急ぐ。
はるかかなたから国連旗をはためかせたランドクルーザーがやって来る。ランドクルーザーに続いて、帰還民を乗せたバス、その後に大型トラック。道中、盗賊団に襲われないように、車列を作って帰還民たちが帰ってきた。その数百数十人。大型トラックの中をのぞくと、自転車やベッドが積まれている。それぞれ帰還民たちの「貴重品」、「家財道具」である。
UNHCRのプロペラ機に乗ってスーダン・ウガンダ国境の町、ニムレへ。眼下には白ナイル川とジャングル。2時間ほどのフライト後、「あそこへ降りる」とパイロット。
そこはジャングルを「少しだけ」切り開いた赤茶けた地道だった。「あれが滑走路だ」。雨が降ればぬかるむので着陸不可となるし、牛の群れが滑走路を歩いていると、群れが去るまで上空を旋回して待つそうだ。
着陸後、ランドクルーザーで15キロほど道なき道を行き、ガンジ村へ。
木陰に多数の子どもたちがいる。ここは「青空小学校」だった。戦争で村が焼かれてしまい、学校も病院もなくなった村に、とりあえずユニセフが教科書を数冊配布し、「授業」が再開されている。
青空教室の横では、ポリオの予防薬摂取。黒人医師が、子どもたちを順番に並ばせて、少量の薬を飲ませている。
ハルツームに戻り、「ジャバルアウリア国内避難民キャンプ」へ。ここはハルツームから南へ約40キロ、南部スーダンとダルフールからの国内避難民を受け入れており、その数はこのキャンプだけで約2万5千人。広大な乾燥地に、泥でできた家が広がる。1992年にできて、当初は南部スーダンから、最近ではダルフールからの避難民で、人口が膨れ上がっている。キャンプの中には学校や診療所、ちょっとした雑貨店もあり、歴史の長さを物語る。南部スーダンと比べて、問題なのは水。井戸がかれてしまって、避難民たちはロバで行商されるドラム缶入りの水を買わねばならない。水の問題とあわせて深刻なのがエイズ。サハラ以南のアフリカで爆発的に増えるエイズ。コンドームもなく、避妊教育も受けていない人々の間に、エイズが蔓延する。キャンプ内には「エイズの健康診断を受けよう」「HIV陽性者を差別せずに共に生きていこう」など、アラビア語で書かれたポスター。
片足がない少年を発見したので、地雷かな、と思いインタビューすると、彼は「ポリオ」だった。衛生状態が悪いキャンプで生活したため、ポリオに罹患したのだ。この貧困状態をもたらしたのは、戦争である。
そんなスーダンに自衛隊が派遣されようとしている。
なぜ今スーダンなのか?
自衛隊をできるだけ海外へ派兵し、「既成事実」を作り、「派兵恒久法」を成立させたい。そして何よりもスーダン中部にある油田利権…。そんな政治的な思惑で、自衛隊派兵が計画されたのだと思う。
スーダンの人々が何を望んでいるか、今行うことは何なのか。そうしたことを考えるならば、それは軍隊ではなく、日本企業の出番だろう。憲法9条の平和精神に立ち返れば、おのずと日本のやるべきことが見えてくると思うのだが。
ユニセフのポスター
子どもを少年兵にさせてはいけない