私は今年10月に9度目となるイラク取材を敢行した。危険を承知で今回は首都バグダッドに潜入した。泥沼のイラク戦争開始から5年半、首都バグダッドは、壁に囲われた「監獄都市」になっていた。
「カメラを隠せ!チェックポイントだ!」通訳が叫ぶ。車内から外の景色を隠し撮りしていたのだが、あわててビデオカメラを引っ込めて、ランドクルーザーの後部座席に身をかがめる。ここはバグダッドの中心街、アル・ラシード地区。4年前ここを訪れたときは、危険ながらも、車から降りて道行く人々にインタビューできたのだが、今はカメラを抱えた外国人ジャーナリストは、「格好の獲物」だ。バグダッドの街には武器があふれ、身代金目的の「誘拐ビジネス」がはびこっている。誘拐だけではない、およそ百メートルごとにイラク国防軍の兵士が戦車から監視の目を光らせていて、「ビデオカメラを回す不審なヤツ」は、すぐに尋問され、軍や警察の施設がビデオに写っていたら、その場でアウト。よくてカメラ没収。下手をすれば刑務所行きだ。
イラク国防軍のチェックポイントを無事通り抜け、メーンストリートを突っ走る。道路の両サイドにはコンクリートの壁。自動車に爆弾を積んだ自爆テロ攻撃が恐ろしいので、バグダッドはいまや壁で囲われた「監獄都市」と化している。
空を見上げると、飛行船がぷかり。
「あれは何?」「米軍の監視飛行船だ。毎日飛んでいるよ。ああやって上空から市民生活をモニターしているんだ」。
知らなかった。4年前バグダッドを訪れたときは、街角に米軍の戦車が停まっていて、上空には軍用ヘリが飛んでいた。その後イラクの治安は極端に悪化し、武装勢力のロケット弾は、ヘリを撃ち落すし、道路わきに仕掛けられた路肩爆弾は、戦車を吹っ飛ばす。あまりにたくさんの米軍兵士が殺されるので、今では「無人飛行船」が武装勢力を監視しているのだ。
今回私の護衛に当たってくれたのは、クルド愛国者同盟(PUK)の兵士たち。そのPUKバグダッド本部もまた、コンクリートで二重三重に囲まれている。PUK兵士に守られて、「クルド人のための母と子ども支援センター」へ。
この戦争で夫を奪われた未亡人や、孤児たちのための施設だ。
「日本人が来る」というニュースはあっという間に広がっていて、狭い会議室に母親と子どもたちが集まっている。
ホテルの部屋で、通訳のオマルと翌日の日程を相談していると、ドカーンという爆発音。「やったな、近いぞ!」。慌ててホテルの部屋から外の景色を撮影。チグリス川をはさんだ対岸のビルからもうもうと煙が上がっている。その日のアルジャジーラTVで知ったのだが、この爆発で27人が死亡した。
「ユージュアル(普通のことだ)」とオマル。「イラク人はもう誰も驚かない。毎日どこかで爆発するよ」とも。ウー、ウーというパトカーのサイレンとともに、バタバタバタという米軍ヘリの轟音。そしてどこからともなく現れる無人の飛行船。4年前はこのようなテロがあると、米軍戦車が現地に駆けつけたのだが、今は上空から偵察するだけ。治安を守っているのはイラク軍と警察で、米軍は基地に閉じこもっているのだ。
バグダッドを後にして、北へ向かう。目的地はイラク第3の都市モスル。バグダッドやファルージャなどは激戦地であったが、今年になって住民たちが自警団を作り「アルカイダ掃討作戦」を行った。住民たちに追い払われたアルカイダはモスルに向かった。モスルは今やイラクで一番危険な都市になった。