経済同友会終身幹事 品川 正治さん
■略歴
1924年神戸市生まれ。東京大学法学部卒。現在、経済同友会終身幹事、国際開発センター会長。日本興亜損保(旧日本火災)社長・会長を経て、91年から相談役。各地の「九条の会」などで精力的に講演活動を続ける。
さる2月7日、吹田メイシアターで9条は日本の宝!吹田のつどい09実行委員会≠ェ、経済同友会終身幹事の品川正治さんを招いて「戦争の本当の怖さを知る財界人の直言」と題する講演会を開催した。会場には約600名の市民が参加し、立ち見も出るほどの盛況。反戦平和の草の根運動が、市民の中に広がりつつあることを示した。
講演の前には「火垂るの墓」の朗読劇が上演された
品川さんは自身の戦争体験から語りだした。
「私の85年の人生は2つに分かれています。最初の22年は大日本帝国憲法の下、天皇の赤子として。後の60数年は現在の日本国憲法の下で、主権者の一人として。小学校入学の年に満州事変が起こり、中学校入学時には日中戦争が起こりました。そして高校に入ったときはすでに太平洋戦争が始まっていたのです」
品川さんは神戸生まれ、高校は京都三高(現・京都大学)。叔父が千里山に住んでいたので、吹田には親近感を感じている。
「三高に入学したとき、すでに『自分は戦争に行って死ぬんだ。学問はあと2年しかできない』と思っていました。先生方も授業が終われば、私たちに深々とお辞儀される。『最後の授業』という意味ですね。ある日詩人の三好達治さんが講義に来てくださった。5日間の授業の後、三好さんが壇上で号泣される。『若い君たちを死なせて、今後も俺は詩を作るのか』。私たちはビックリして先生をなだめて職員室までお連れしました。そんなことが『当時の学校の風景』でした」。
高校2年生の秋、召集令状が届く。中国の延安市に近い最前線。中国共産党軍と明けても暮れても戦闘の毎日。
「白兵戦、敵と向き合って撃ち合う戦闘も経験しました。迫撃砲が飛んできて数時間意識を失ったことも。負傷しても野戦病院もない。とにかく隊から離れたら死が待っています」
長い間戦争体験を語ることはできなかった。心の中にトラウマがあったからだ。
「激しい戦闘の中で、10数メートルしか離れていない戦友が『やられた!助けてくれ』と叫ぶ。とっさに彼を助けようと壕の中から出て行こうとしました。でも別の戦友が私の足をつかんで離さない。彼は黙って首をふるだけ。あの時穴から出て行けば私は殺されていたでしょう。しかし『なぜあの時、彼を助けることができなかったんだ』という思いがずっと残っていたのです」
戦友たちがたくさん住む島根県で講演。講演中、「助けることができませんでした」と謝る品川さん。すると参加者が激しく泣き出した。しばらく中断して、また話を続けた。謝ることができて、60年ぶりにトラウマは、少しだけ消えた。
ソマリアにも自衛隊派兵?政府は、はじめに自衛隊ありきの態度
「終戦の翌年、5月に復員しました。私たち中国にいた前線部隊は8月15日に戦争が終わったわけではない。重慶政府(国民党=蒋介石政府)の命令の下、中国共産党軍との戦闘に狩り出されたのです。11月に武装解除、ようやく5月に鳥取県の港まで。停泊中、船内によれよれの新聞が。3月7日付で『日本国憲法草案が発表された』と書いてあります。
『品川!読め』と隊長が命令する。私は憲法第1条天皇から読み始め、9条まで読み進みました。『日本国民は…(中略)…。陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない』9条を読んでいるうちに、全員が泣き出すんです。『戦争放棄』『軍隊の不保持』。よくここまで書いてくれた、これなら死んだ戦友の霊も浮かばれるし、アジアの人々とも顔を会わせることができると思いました」
新しい憲法が発表されたとき、国民は泣いて喜んだという。しかし素晴らしい平和憲法が徐々に「解釈改憲」され、自衛隊ができ、有事立法が制定され、ついにはイラクにまで派兵されるようになった。
「9条2項の、軍隊を持たない、という旗は今やボロボロです。しかし国民はこの旗ざおを握って離してはいない。安倍政権の時に、自民党は参議院選挙で大敗しました。平和憲法を変えようとした安倍さんの野望を国民が打ち砕いたのです」
品川さんの著書の数々
「いいですか、戦争を起こすのも人間、それを止めることができるのも人間です。戦争は地震や洪水ではない。戦争を起こそうとする人がいるから起きるんです。『お前はどちらなのか?』という声が聞こえます。どちらの立場に立つのか?それが私の座標軸なのです」
広島・長崎の原爆、沖縄戦、東京・大阪大空襲…。殺されていったのは罪なき女性と子どもたち。そんな悲惨な経験から、憲法が生まれた。
「日本国憲法は、戦争を国家の目で見ていません。人間の目で見ている。だから『戦争をしない』という9条が生まれた。私は戦争だけでなく経済も人間の目で見ることが必要だと思います」
今は、アメリカの金融資本の目で見た経済だ。昨年末「年越し派遣村」ができて、働く人々が「人間使い捨て」の経済に対して異議を申し立てた。イラク戦争の破綻、リーマンブラザーズの破綻など、アメリカにただ追従するのは間違いではないか、という世論が広がっている。
「日本とアメリカは違うんだ、と言うことが必要です。世界で原爆を落としたのはアメリカ。落とされたのは日本。アメリカ流のカジノ経済で庶民は苦しみ、労働者の中で『蟹工船』が読まれる。日本社会が変わりつつあると実感しています。政治家や行政に頼む時代ではない。国民が決めていく時代がやってきました。今年は総選挙があります。憲法も国民投票で是非が決まる。『人間の目で見て』戦争を平和に変える、経済も金融=カジノ経済を、モノ作り=福祉経済に変える、ことが必要なのです」。
(文責・編集部)