イラクからの米軍撤退を口にしながら、アフガンではテロとの戦いを強化するオバマ大統領。「タリバンがいるから空爆した」とアメリカは主張する。しかし、そのタリバンというのは普通の農民ではないのか?農民を誤爆すれば、その農民たちが米軍への反感を募らせて「ニュータリバン」になる。そんな実態を取材したかったので今年6月アフガンへ飛んだ。おりしもアフガンは大統領選挙の真っ最中。この原稿を書いている時点では(8月17日)誰が大統領になるかわからないが、選挙が近づくにつれて、自爆攻撃が頻発している。米軍の空爆もタリバンの自爆も、人々を傷つけるだけで、怒りのみが拡大再生産される。一刻も早く普通の人々が安心して暮らせるアフガンになることを願う。
片足の子どもの歩行訓練
「これを見ろ!こんなパサパサのパンを、水をかけて柔らかくして食べているんだ」。ここはカブール郊外のモジュリーン避難民キャンプ。パンは数日前に近隣の住民から寄付されたもので、乾ききったパンに無数のハエがたかっている。
モジュリーン避難民キャンプができたのは2年前。カブール北西、数キロのところ、国道沿いに薄汚れたテントと泥でできた家が広がっている。約1500人に及ぶ避難民のほとんどはカンダハール州、ヘルマンド州といったアフガン南部、パキスタン国境付近から逃げてきている。
「村にタリバンがやって来ると、米軍は村ごと空爆していく。米軍とタリバンの戦闘に巻き込まれて、12歳と16歳の娘を失った」。男性は腹から血を流してぐったりと横たわる娘2人の写真を掲げて訴えた。
「政府からも国連からも何の援助もない。あるのは近隣の人々からのイスラム的な寄付だけだ。この状況が改善されないと、俺は自爆攻撃も辞さないつもりだ」。
オスマンの指摘にうなずきながら、テントと泥でできた難民の家を縫うようにして進む。大きな穴を掘っている男性がいる。
「何で穴を?」「井戸を掘っているんだ」。手掘りで井戸を掘る男性。きれいな水が不足しているのだが、いまどき手掘りで水脈までたどり着けるのだろうか?
「トイレはどうしているの?」「トイレはあそこだ」オスマンが道路を隔てた小高い丘を指差す。
「外で用を足す」のだ。「男性はそれでもいいけど、女性は?」。「子どもたちがついていって輪を作り、女性はその輪の中で用を足すんだ」。
「ユニセフ」と大書されたテントがあるので、大家族が住んでいるのかな、と思ったら、なんとそのテントは学校だった。
ノートを持った子どもがいる。「名前かけるか?」と尋ねたら、小さな手でたどたどしく自分の名前を書いてくれた。
学校は誰が運営しているのか?なぜ政府やNGOの援助が届かないのか?そういったことを取材しようとしていたときだった。
モジュリーン避難民キャンプの子どもたち
バリバリバリ。耳をつんざく音がして、軍用ヘリがこの避難民キャンプをめがけて低空飛行してきた。「危ない!撃たれる!」。
慌ててキャンプから逃げ出す。ヘリは低空で旋回した後、またカブールの方向へ飛び去っていった。「アフガン政府のヘリだ」とオスマン。なぜヘリが?と聞くも、「分からない」。
避難民の中にタリバンがいると考えているのだろうか…。
私にとっては意味不明の「威嚇行為」だが、こうしたことは日常茶飯事なのか、避難民たちはまた普通の生活に戻っている。「俺たちは普通の農民だ」という避難民。「こいつらはタリバンの疑いがある」とキャンプを威嚇する政府のヘリ。いったいどちらが正しいのだろう。
オバマ大統領は、「イスラムとの対話」を言い出した。これは正解である。対話こそが解決の道。しかし現実にカブール郊外で行われているのは、対話ではなく、「威嚇」である。
オバマ大統領には二つの顔がある。戦争と平和。今後、彼がどちらの顔になっていくのか…。国際社会の厳しい監視が必要だ。
アフガン滞在7日目、カブールから直線距離で約250キロのバーミヤンへ飛んだ。このバーミヤンは世界最大の大仏跡があることで有名。2001年にタリバンがこの大仏を爆破し、今では写真のように「大仏跡」が残るのみ。
意外と知られていないのが、この地に大量の地雷が残されているということ。ユニセフの地雷撤去に同行し、世界遺産の一つ「シャーリ・ゴルゴラ」を訪れた。
小高い山のあちこちに洞窟が点在する。洞窟は山の内部でつながっていて、内部には部屋があり、人の生活跡が残る。1979年旧ソ連軍がアフガンに侵攻。全土は旧ソ連軍対アフガンゲリラとの戦場と化した。旧ソ連軍との10年にわたる戦争で、このシャーリ・ゴルゴラは地雷原となった。そして戦闘中に多くの不発弾が残された。
「今年4月から、ここで地雷&不発弾撤去が始まった。俺たちは2ヶ月で約800個の地雷&不発弾を撤去した」。通訳のシャムスディーンが誇らしげに語る。
撤去作業員は、ここだけで60人いて、6つのチームに分かれて作業している。
シャーリ・ゴルゴラの山の中腹で、地雷探知機がキーンと鳴る。作業員は、慎重に石を取り除き、赤のペンキでマーキングする。全て手作業。めちゃくちゃ危険で勇気のいる作業だ。この地雷撤去作業はユネスコが所管し、ATCというアフガン人NGOが実際の作業を行う。予算の約30%以上を日本政府が拠出している。インド洋で米軍に給油するのではなく、もっとこのような人道支援に予算を使ってほしいものだ。
バーミヤンの大仏跡
地雷撤去中。危険で勇気のいる作業
カブール滞在最終日、私はISAF(国際治安支援部隊)本部前にいた。
「アラーアクバル」(神は偉大なり)。大音響とともにISAF本部の方向から、デモ隊が現れた。デモ隊は警官ともみ合いながらこちらへ向かってくる。
日本のデモと全然違うのは、その迫力。片足の男たち、車椅子の男たちが、こぶしを上げながら、鬼のような形相で「障害者にも仕事を与えろ!」と叫ぶのだ。私たち日本人が忘れかけている「抗議行動の原点」がここにあった。
デモ終了後にインタビュー。
「20年前に地雷を踏んだ。俺は47歳、家族を養わねばならない。地雷?おそらく旧ソ連軍が仕掛けていったんだろう。俺の村は地雷原になったよ。政府は月に700アフガニー(約1500円)の手当てをくれるだけだ。これでどうやって生活できる?日本人に言いたいこと?そうだね、軍隊に援助せず、俺たちのような住民を助けてほしいよ」。
デモ行進する戦争被害者
日本がインド洋で米軍に給油していることは、ほとんど全てのアフガン人に「ばれてしまって」いる。米軍に給油する金があるなら、俺たちに回してくれ!という切実な声。今はまだ米軍への怒りを表明するのみだが、そのうちに「米軍に協力する日本も同じだ!」という主張になりかねない。そうなると日本のNGOや企業も安全ではなくなる。米軍への協力を直ちにやめて、全ての支援を人道・民生支援に切り替えるべきなのだ。
フリージャーナリスト 西谷 文和