私は今年10月に自身3度目のアフガン取材を敢行した。カブールの冬は寒い。何よりもまず避難民キャンプに毛布を配らねばならなかった。そして米軍の空爆の実態と、タリバンの本当の姿に少しでも近づきたかったのだ。
タリバンの本拠地カンダハールで見たもの、それは罪なき子どもたちが焼かれ、殺されていく現実だった。
全身やけどのアッサン・ビビちゃん
写真の子どもはアッサン・ビビちゃん(9)。カンダハール市内で唯一外科手術ができるミルワイズ病院の外科病棟で出会った。ビビちゃんの家族はベドウィン、つまり遊牧民だった。果てしなく広がる山々の中で羊を追う日々を過ごしていた。
10月6日、家族はいつものように山にテントを張って就寝した。漆黒の闇の中悪魔がやってきた。
「あそこに不審なテントを発見。タリバンの拠点かもしれません。爆撃します」
「了解」。
米軍の戦闘機から放たれた砲弾によってテントは一瞬にして燃え上がった。阿鼻叫喚の灼熱地獄。
父は必死でビビちゃんとすぐ上の姉を助けだしたが、一緒に寝ていた2人の兄と姉は焼け死んでしまった。
「しまった!タリバンではなくて子どもだった」。誤爆を認めた米軍は、全身大やけどのビビちゃんとすぐ上の姉を、カンダハール空港まで運んだ。「ほら、これで病院まで行け」。米兵は200パキスタンルピー(約210円)を伯父に手渡し、去っていった。謝罪も補償もなし、ただ焼かれただけ。
「神様、助けて」。全身を震わせて、か細い声をしぼり出す。のどが渇くのか、絶えず水をほしがる。少々残酷だが、伯父に彼女の衣服を脱がすように頼む。こちらとしてはやけどの状況をよりリアルに撮影しなければならない。
「痛いよ、痛いよ。やめて!」全身を震わせて叫ぶ少女を前に、これ以上ビデオカメラを回すことが出来なかった。
この少女が焼かれた3日後、オバマ大統領にノーベル平和賞が出た。テレビもインターネットもない山の中で暮らす一家は、ノーベル賞はもちろん、アメリカの大統領が誰であるかさえ知らない。
看病する伯父はビビちゃんを指さしながら、「アメリーキー、アメリーキー」と叫んでいた。
ビビちゃんと出会ったミルワイズ病院には、なんと3名の日本人看護師が勤務していた。この病院は中国の援助で建設され、アフガン政府が運営しているが、政府にお金がないので、国際赤十字のバックアップで成り立っている。その国際赤十字から、伊藤明子さん、苫米地則子さん、井ノ口美穂さんが派遣されているのだ。
「今年8月から、ここで看護師として働いています。病院と赤十字の寮からは一歩も外へ出られません。でも毎日、アフガン人医師・看護師と協力しながら、手術や治療を行っています」とは、看護師長の伊藤さん。
日本としてどんな援助ができると思いますか?との問いには、「医療面の援助も大事だと思いますが、教育も重要です。普通の人たちが普通に字が読めて、計算ができるようになれば、人権や生活、健康が守れるのではないかと思います」。
そう、アフガンは30年続いた戦争と絶望的な貧困の中で、学校に通えない子どもが多い。もし字が読めれば、新聞が読めるのでタリバンの本当の姿を知ることができるかもしれない。「自爆テロをすれば天国に行けるぞ」などという誘いには乗らなくなる。計算ができれば、労賃をごまかされず、賢く買い物もできるようになるだろう。字が読めるというのは「生死に関わる能力」でもある。
例えば村で疫病が流行ったとき、薬ビンに書かれている文字が読めれば、その薬が風邪薬か胃腸薬か、食後に飲むべきなのか、何錠飲むのか、が分かる。
つまり人権も、生活も、健康も守れるようになるのだ。
日本はこれまでインド洋で米軍やパキスタン軍に給油してきた。これは「間接殺人」である。
なぜか?もしオイルがなかったら→戦闘機を頻繁に飛ばすことができない→空爆が減る→あの少女が焼かれることはなかったかもしれない、のだ。
給油に替えて民生支援。これは正解で、アフガンの国民は大歓迎するだろう。問題は、汚職にまみれたアフガン政権を通じて、いかに村人たちに支援を届けるか、である。
日本の看護師さんと一緒に
米軍の空爆で片腕になったゴルジュマちゃん
(チャーレ・バカーレ避難民キャンプにて)
「結婚式の食べ残し」を食べる子どもたち
(パルワンドゥー避難民キャンプにて)
写真の子どもは、首都カブール郊外の「チャーレ・バカーレ避難民キャンプ」で出会った。避難民はすべてパシュトン人。アフガン南部から逃げてきている。ゴルジュマちゃん(9)一家は、パキスタンとの国境に近いヘルマンド州に住んでいた。07年頃から米軍の空爆が頻繁に行われるようになり、昨年ついにゴルジュマちゃんたちの村も焼かれた。米軍の空爆で一家のうち10人が殺され、彼女は左腕を肩から切断した。
テントと泥でできた家が数百軒続く。このキャンプには水道・電気はなく、寒い冬を前に、すきま風がひゅーひゅーと通り過ぎる。
「毎年、このキャンプだけで数十人の子どもが死ぬよ。凍死と栄養失調で」とは通訳のイブラヒーム。
このキャンプだけではない。カブール市内には「パルワンドゥー避難民キャンプ」があり、ここは全ての居住者がタジク人。
「俺のテントに来て、中を見ろ」と案内される。すごい悪臭。大きめのボールに焼きめし、その焼きめしに無数のハエがたかっている。
「これは結婚式の残り物だ。俺たちはこのピラフを3日間、温めて食べている」。
国連からの援助は?
「全く何もない。近隣住民から食べ残しを恵んでもらって、何とか生きている」。
なぜアフガン政府も国連も援助をしないのか?その答えは「タリバン」であろう。つまり政府や国連は、避難民キャンプにタリバンまたはその内通者がいる、と考えている。キャンプに援助物資を配ることは、それは敵=タリバンを利することになると考えているに違いない。
家を焼かれ、親を殺された避難民の間に、米軍への怒りとタリバンへのシンパシーが生じているのは間違いない。実際、キャンプでカメラを向けると顔を隠す若者がいた。彼らは「ニュータリバン」なのかも知れない。
3000人もの人々が困窮生活を続けるキャンプでは何人かのタリバンがいるだろう。しかし、だからといって援助をしなければ、圧倒的多数の「普通の農民の子どもたち」が死んでしまうのもまた、「そこにある現実」である。
カブールの下町で、トラック4台分の毛布と食料を買い出す。
チャーレ・バカーレ、パルワンドゥー両避難民キャンプに、その毛布と食料を配る。
「タシャクール、ジャパン」(日本のみなさん、ありがとう)。避難民たちは、神への祈りとともに、私たち日本人へ祈りを捧げてくれた。
このようにして、まずはいただいた募金を有効に活用することができた。この紙面を借りて改めてお礼を申し上げたい。
避難民キャンプに物資を配る
さてこの原稿を書いている時点(12月5日)で、オバマ大統領が3万人の増派を決めた。最悪の選択だ。増派をすれば、確実に戦闘行為が増え、罪なき人々と米兵の命が奪われる。おそらくこの戦争は「オバマのベトナム」になるだろう。地上戦、ゲリラ戦において米軍の勝ち目はない。なぜか?カルザイ政権の手の届かないところ(国土の約90%)では、タリバンが実効支配している。いわば「全住民を敵に回して」戦争するわけで、米軍に勝ち目はない。「テロとの戦い」を強化すればするほど、ニュー武装タリバンが生まれてくる。
今必要なのは増派ではなく対話である。
穏健派タリバンと対話し、武装タリバンを少数派に追い込むのだ。そして援助物資を普通の人々に届け、飢え死にしないよう、生活の底上げを図る。衣食足りて、落ち着いてくれば、自爆も減るし、無意味な銃撃戦もなくなっていく。今は貧しいから、明日への希望がもてないから、戦闘行為に活路を見いだしているグループも、「明日も不安なく食べていける」ことになれば、武器を置き、普通の生活に戻っていくだろう。武力ではなく対話。これこそ憲法9条の精神である。
本来なら日本政府は、米軍とタリバンの間を取り持って、対話の道筋を提供しなければならない。
日本はNATO軍に入っていないし、アフガン人の多くは日本を尊敬し、必要と感じているからだ。
カブールを電撃訪問した岡田外相。日本は何が出来るのか?
1993年、イスラエルとパレスティナPLOが「オスロ合意」を結び、世界中をあっと驚かせた。両者を仲介したのはノルウェー政府だった。
平和憲法を持つ日本も、このノルウェーのようなことができるはずなのだ。そんな政府に生まれ変われれば、日本国民も政府のことを誇りに感じるだろうし、「日本は平和国家である」ことが認識されていくので、日本人を狙った誘拐なども倫理的にブレーキが掛かり、相対的に日本の援助者が安全になり、世界各国への援助もやりやすくなるだろう。
すると日本の援助で生活を改善することができた人々が、日本への感謝を表現し、彼らが日本の援助者を守っていくだろう。
50億ドル(約4500億円)の民生支援が、このような形で実現することを願う。
本文中の記事にあるように、アフガンではこの冬を越すことができず、命を落とす子どもが多数出てきます。そこで2010年1月6日から、緊急援助を行うためにカブールに入ります。避難民キャンプに毛布や灯油を配ることになります。
■募金の宛先■
郵便振り込み
イラクの子どもを救う会 00970-5-22201
振り込み用紙に「アフガン」と記入ください。
■問い合わせ■
イラクの子どもを救う会 電話06-4864-1828
メール:nishinishi@r3.dion.ne.jp
ジャーナリスト 西谷 文和