2010年1月6日〜18日まで、私は自身4度目となるアフガン取材&支援を行った。氷点下のカブールでは避難民キャンプに越冬物資を配布した。例年なら氷点下20度まで気温が下がる冬季、家を破壊された多くの避難民たちが凍死するアフガン。しかし今年は記録的な暖冬で、凍死の危険は少ない。しかし「もう一つの危機」が忍び寄っている。さて、アフガンの人々に降りかかるであろう、「もう一つの危機」とは?
薄手の服一枚で震える避難民の子ども
2010年1月、常夏のドバイから約3時間のフライトでカブールに到着。寒い。アフガンの首都カブールは、緯度こそ日本と同程度であるが、内陸であり1800メートルの高地。はるかかなたに雪を抱いた5千メートル級の山々、ヒンズークシュが見える。
カブール空港を出ると、「ブラックウォーター社員はこちら」というプラカードを持つアフガン人がいる。ブラックウォーター社といえば、イラクで多数の民間人を殺戮した悪名高き「民間軍事会社」である。悪名がとどろいたので、今や「Xe」と社名を変更しているのであるが、ここアフガンでは堂々と旧名で「仕事」をしている。
空港にいるのは、現地人と、このような民間軍事会社の傭兵、そして私のような「ちょっとイカれたジャーナリスト」だけ。世界一ののっぽビルに沸く平和なドバイから、飛行機で3時間、ここは戦争のニオイが充満している。
カブール到着後、すぐにパルワンドゥー避難民キャンプへ。私はといえば、コートにマフラー、長袖シャツにパッチを着込み、「ホカロン」を貼り付けた重装備ではあるが、寒い。
そんな私がインタビューする子どもは、薄手のシャツ一枚。そして裸足。凍てつく大地を裸足で駆け回っているので、足指はアカギレている。
アフガンの暖房器具は、中に石炭を入れてみんなで足を突っ込む、こたつである。電気もガスもないキャンプでは、このこたつと毛布だけが頼り。しかし石炭が不足しているので、石炭なしで我慢する日々も。支援物資その1は、石炭だ。「他に何が必要だ?」「食料、薬、地面に敷くカーペット、何もかもだ」。鼻水を垂らした子どもたちは「パンが食べたい。お腹いっぱい」。
アフガン人の主食は小麦粉で薄く焼いたナンである。小麦粉なら保存できるので、支援物資その2を小麦粉にする。
片手を失ったゴルジュマちゃん
片手を失ったゴルジュマちゃん(9)と再会。昨年10月には「学校は楽しい」と言っていたのだが、今は学校に行っていない、と言う。「なぜ?」「からかわれるから」「普段はどうしているの?」「家の手伝い。洗濯とか」「去年あげた人形は?」「友達に取られちゃった」子どもは時として残酷だ。片手がないゴルジュマちゃんを、みんなと違う、といじめているようだ。
昨年10月の取材同様、今回も激戦地カンダハールへ飛んだ。カンダハール空港は軍民共用の空港で、現在突貫工事で拡張中。オバマ大統領が3万人の米兵増派を決定したが、多くの米兵は、激戦地であるこのカンダハールと隣のヘルマンドに派兵される。その米兵を受け入れるために、空港近辺に巨大な米軍基地が建設されている。空港拡張工事を請け負っているのが米国系のゼネコン。「戦争は儲かる」のだ。
左手は切断しなければならない
カンダハール市内のミルワイズ病院へ。右の写真サタール君(14)はウルズガン州の出身。20日前に、家の前で友人たちと遊んでいたら、ロケット弾が飛んできた。一緒に遊んでいた3人の子どもが死んだ。隣のベッドには、そのとき重傷を負った友人が入院していたのだが、本日朝、ウルズガンに帰ったが、彼はまだ治療が必要なので、ここに残っている。その治療とは…。
彼の左手は皮膚の色が変色し、触っても体温を感じない。医師が「左手は、もうダメだ。これから切断する」と英語で。左手の指を触りながら、「感覚がないの?」「うん」「今から左手を失うことについて、どう感じている?」するとイブラヒームが、「その通訳はやめておこう。彼はまだ自分の左手が切断されることについては、知らされていない」。差し入れのジュースを上げると、ニッコリと微笑んでくれたサタール君。彼の今後の人生は苦難の連続だろう。
実はこのロケット弾は、米軍ではなくISAF軍(おそらくイタリア軍)が撃ち込んだもの。翌日ISAFの司令官とアフガン軍の責任者が、村に謝罪にやってきた。しかし謝っただけ。その後の補償は一切なかった。「僕は、もう戦争に疲れたよ」。サタール君の小さな声に胸が痛む。
今回の取材最終盤に、アフガン東部の都市ジャララバードで、ペシャワール会の中村哲さんと出会った。「私が来たとき、ここは全て砂漠でした。この水路は7年前に建設を開始し、2月末に完成します。全長23キロになり、15万人の命を救ってくれます」中村氏の言葉通り、水路沿いの土地は見事に小麦畑に変わっている。草木も生えない乾いた大地が、一本の水路によって緑に変わっていく。カメラを回しながら、感激して言葉も出ない。
クナール川下流の、別の村への取水口へ。タリバン時代に作られた用水路が干上がっている。なぜか?原因は対岸の護岸工事。米軍の一部であるPRT(地域復興チーム)が、水路の知識もないままに「見えるところだけ」護岸し、そのままメンテナンスもないままに放置したからである。
護岸壁に当たってはね返った水流が、こちら側の川底を掘り下げたため、川の水位が低下し取水口に水が届かなくなってしまったのだ。結果、下流の村が飢えた。
「米軍は2重に邪魔をする。一つは空爆など戦争で人を殺す。もう一つは、『支援』と称して逆に貴重な財産(この場合は水路)を使えなくしてしまっているのです」。
重機で水路を造る中村さん
最後に中村さんはこう訴えた。「水路を作り始めて、今年で10年になります。今年が一番降雪量が少ない。このまま放置すれば、旱魃になります。3万人の米軍増派で、戦争はさらに拡大する。そんな中飢饉が襲う。今年は間違いなく悲惨な年になります」。
地球温暖化と戦争の影響を、モロに受けるアフガンの人々。温暖化も戦争も「先進国の都合」で引き起こされたものなのに。
ジャーナリスト 西谷 文和