集団的自衛権とは、アメリカなどの同盟国が攻撃されたとき、それを自国への攻撃とみなし、武力で反撃する権利のことである。そもそも憲法9条は戦争を放棄し、紛争を武力で解決しないと宣言しているので、歴代内閣はこの権利を認めてこなかった。集団的自衛権を行使することは戦後日本が国是にしてきた平和主義を投げ捨てることになる。安倍内閣の閣議決定だけで、国の基本方針を変えていいのだろうか?現代の戦争のあり方から検証する。
イラク・アフガンへ派兵される米兵を前に訓示を述べるオバマ大統領
もうこれで戦地だけでない日本人もテロの対象になる
アフガニスタン警察に、銃撃訓練を指導するイタリア兵(カブール)
アサド軍のミサイルで破壊されたビル(アレッポ)
紛争地に多国籍軍を派遣する場合、アメリカは必ず「1都市を任せる」方式をとる。アフガンでは、首都のカブールは米軍、カンダハルはカナダ軍、クンドゥズはドイツ軍…という形だ。日本には憲法9条があるので、アフガンに直接自衛隊を派兵することはなかった。現地に行かない代わりにインド洋で米軍などに給油を行ってきた。
もし集団的自衛権の行使が可能になれば、自衛隊は早晩、多国籍軍に組み込まれてしまう。例えばシリア内戦が収束すれば、米国の求めによって自衛隊をシリアに派兵することになるだろう。近未来、首都のダマスカスは米軍、アレッポは英軍、ハマーは日本、などと任務分担させられる。そうなれば自衛隊はハマーの幹線道路に検問所を置き、24時間の監視態勢を取る。
紛争地で恐ろしいのは、仕掛け爆弾や自爆攻撃だ。不審な車に「止まれ!」とサインを出す。しかし車は止まらない。自衛官は向かってくる車を撃ち、ドライバーを殺してしまうかもしれない。運転手が英語を理解せず、サインを見落としたから止まらなかったのかかもしれない。あるいは明確に自衛隊を狙っていたのかもしれない。「撃たなければ撃たれる」関係が延々と続く。
イラク戦争で米兵は、実際の検問所で何十人何百人もの「止まらなかったドライバー」を撃ち殺してしまった。これが戦争のリアルだ。集団的自衛権の行使とは、「日本兵も血を流せ」ということだ。
そんな泥沼の紛争に、日本は直接関わってこなかった。イラクでは「日本軍は、誰も殺していないからマシだ」と現地の人々には評価が高かった。日本の進むべき方向は「変わらぬ平和主義」ではないだろうか?
なぜ急ぐのか答えはサッカー ワールドカップだ
自爆テロ現場を警備する民間軍事会社の兵士(カブール)
安倍首相はこの集団的自衛権の行使について、今国会で閣議決定するよう指示を飛ばした。日本の進路を大きく左右させる大問題を、わずか2週間ほどの審議で、しかも国民の賛否を問うこともなしに、閣議で決めてしまうという乱暴なやり方だ。
なぜそんなに急ぐのだろうか?
その答えは、サッカーワールドカップだ。これから日本列島はサッカー一色になる。マスコミが大騒ぎする中で、集団的自衛権の議論はかき消されてしまう。
思い出すのは消費税。89年に初めて導入されたとき、テレビは昭和天皇の崩御一色だった。その後消費税は3%から5%、そして8%になり、今や10%に引き上げられようとしている。「小さく産んで大きく育てる」。どさくさの中で一旦制度が認められてしまえば、あとは何とでも拡大解釈できるのだ。
安倍内閣は史上最悪の危険な内閣で、メディアのコントロール術に長けている。騙されてはいけない。平和憲法は私たち国民の宝物なのだ。
安倍内閣の巧妙なメディア操作
騙されず平和憲法守り抜こう