リーマンショックに続くドバイショックで日本経済は未曾有のデフレ不況。そんな状況なのにマンションなどの開発工事が後を絶たない。必要な公共事業は行うべきだが、削らねばならない無駄もあるはず。吹田の街は今どうなっているのか?調べてみました。
脚立のようになっている 11月20日(写真(2))
「おー、あれは何や?『巨大な脚立』みたいやなー」。エキスポランドの観覧車が解体されている。夜空に輝く緑の観覧車は、大阪北部のたいていの場所から見ることができて、いわば「吹田の夜のシンボル」だった。(写真(1)、09年11月9日、写真(2)、11月20日撮影)
エキスポランドはご承知のように、安全管理に手を抜き、死亡事故を起こした結果、閉園となったが、やはり一時代を築いてきた娯楽施設がなくなってしまうのは寂しい限りだ。
次にエキスポランドと中央環状線を隔てたところにある、吹田市ゴミ焼却場(写真(3))。施設老朽化のため、新工場がすでに建設されている。
吹田は人口35万人の中堅都市なので、もちろん市独自の焼却炉は必要だ。しかしこの焼却場、工事予定価格の96・4%で落札された「談合疑惑」の建物。さらに焼却施設建設の本体工事は、あの西松建設が筆頭ゼネコンとして請け負っている。西松建設といえば、阪口市長の政治家としての20周年を祝うパーティーで、100万円ものパーティー券を購入した企業。小沢一郎現民主党幹事長、二階俊博元通産大臣とともに、阪口市長の名前がマスコミに登場したのは記憶に新しい。
次に向かったのが国立循環器病センター(写真(4))。吹田市の最北端に位置する全国的に有名な「国循」。この国循の移転先をめぐっていろいろな噂が飛び交っている。
操車場跡地?それとも万博公園?いずれにしても吹田市が関わる大問題である。どこへ移転するにせよ、情報が公開され、吹田市民の意見も取り入れた移転案を作成してほしいものだ。
操車場跡地と0系新幹線。オモチャのようだ!
(写真(5))
最後にJR岸辺駅から操車場跡地(写真(5))を望む。「吹田操車場跡地のまちづくり」という大看板が見える。現市長が梅田貨物駅の移転を受け入れた結果、貨物専用道路(公害道路)が建設される一方、跡地の街づくりが進んでいる。
タダほど高いものはない!この新幹線の移送に
4千万円(写真(6))
岸辺駅から吹田駅に向かう途中に、0系新幹線(写真(6))がかわいらしく鎮座している。新幹線は陸路で運ばれたようで、「平成21年6月13日、博多出発。船にて神戸港、トラックにて6月16日午前3時到着」とある。
JRから無償で譲り受けたものだそうだが、「タダより高いものはない」、この新幹線の移送費に約4千万円、雨ざらしにしてはおけないので「車庫」設置にまたお金がかかるだろう。
0系新幹線には罪はないが、果たして吹田市はこの跡地をどうしたいのだろうか?懐かしい鉄道を集めた「鉄道公園」にするなら、新幹線一つだけでは物足らない。医療と学術機関を呼び込み、「エコメディカル」(環境医療という意味か?)な街にするのなら、0系新幹線は場違いな気もする。
おもちゃのような0系新幹線を見ていると、これは本当に「行政のおもちゃ」ではないのか?と思えてきた。4千万円という税金を使って、頂戴したものの、取り扱いに困っておもちゃ箱に眠らせた…。一方で、「操車場跡地は防災公園にしてほしい」という市民グループの声がある。吹田市南部は緑が少なく、かつての公害指定地域だった。「もう開発はいいから、何も作らず、木を植えて」という声である。
ちなみに、開発区域を減らし、木を植えればそれほど税金を使わなくてもよかったのではないか?
市長の施政方針では、この跡地開発と合わせて地下鉄今里筋線のJR岸辺駅までの延伸、も触れられている。
JALに逃げられた神戸空港、補給金を切られれば大赤字の関空ほどではないが、この跡地開発は吹田市の将来財政を圧迫するものにならないだろうか?
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