編集部 本日は吹田自治都市研究所所長の、二宮厚美神戸大学名誉教授にお越しいただきました。二宮さんは、最近「新自由主義からの脱出」という著書を上梓され、グローバル化の中での民主党政権の終焉や、新福祉国家づくりへの展望などを語っておられますが、それに加えて「大阪・橋下派の本質と問題点」についても言及されています。橋下維新の会、いわゆるハシズムですが、なぜこれほど人気が高まっているのでしょうか?
新自由主義とは…
経済への政府の介入を縮小し「小さな政府」を実現、規制緩和等を通じて従来政府が担っていた機能を市場に任せること。イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権がその代表。「官から民へ」というスローガンを唱えて登場した小泉政権も、新自由主義改革を推進した。結果的には、社会保障費の抑制や労働者派遣法の改悪などで貧富の格差が広がった。
二宮 要因は2つあります。まず1つ目が橋下氏一流のパフォーマンスが、ある程度の大阪府民の心をとらえているということ。例えば「大阪都構想」や「維新八策」など、政策の中身が支持されているわけではなくて、テレビなどで報道される彼一流のアピール力に、支持が集まっています。各種世論調査でも、支持の理由が「橋下さんの行動力に期待する」というもの。でも大阪都構想の中身について、府民が詳しく知っているかというと、そうでもない。彼は大衆動員型の政治家で、少なくない府民が、内容も吟味できないまま、パフォーマンスに幻惑されている、というのが一点目です。
次に、大阪にはすでに橋下氏の考え方、いわゆるハシズムを受け入れる基盤が出来上がっていたということ。大阪の一般大衆が貧困化して、その貧困化した層が、彼のパフォーマンスに拍手を送った。橋下氏の手法というのは、徹底的に既得権を叩く。一般にポピュリズムとは、絶えず敵を作って、その敵と戦う姿勢を貫くことで、大衆の人気を得る、というものですが、橋下氏の場合、敵は既得権と、その「権益を享受している人々」です。
——世論調査でも、橋下氏は相対的に貧困な若年層や非正規労働者の支持を集めているようです。
二宮 21世紀になって、日本は小泉改革、つまり新自由主義の下でルールなき資本主義に陥り、雇用保障も、権利保障もない世の中 になりました。生存競争の修羅場に多くの人々が放り出される中で、失業者から見れば、雇用保障された人々は「既得権者」に見える。派遣労働者に比べて、正規労働者は既得権の持ち主。そして公務員は解雇されることはない。民間と比べると、身分保障は公務員の特権なんだと。
彼が知事に就任した時、「大阪府は破産会社、民間会社なら従業員は解雇される。府の職員は解雇されないので、賃金カットは当然だ」という理屈で、大阪府職員の人件費を大幅にカットしました。 官民の間では、公務員対民間労働者、そして民間会社の中では、非正規雇用と正規雇用を対立させていったのです。
そして公務員の中でも、とりわけ労働組合が「既得権の巣窟」(笑)になっていると、労組を攻撃しました。確かに大阪市役所の巨大労組には、人事介入や市役所ぐるみ選挙など様々な問題がありました。その不祥事をネタにして、本来守られるべき、労働者の団結権などの労働基本権を徹底的に叩きつぶしてしまおうということです。これは学校教育でも同じです。府立高校と私立高校を比較して、府立高校は定員割れしても教師はクビにならないし、その高校はつぶれない。これは私立に比べて一種の既得権ではないか、と。
この論法でいけば、あらゆるところに格差はあるので、彼は常に、「少し上のところ」「身分保障された人々」を叩くことができる。そしてその攻撃の先頭に立つのは政治家・橋下である、というプロパガンダで人気を保ってきたのです。
——橋下氏はこの方法で弱者同士を戦わせているわけですね。本来、団結すべき労働者同士が、彼によって分断されているように感じます。全国的に見て、この大阪で「橋下人気」が高まっていった背景は何でしょうか?
二宮 大阪は全国に比べて貧困層が多いのです。大阪の非正規労働者の割合は、45%です。全国平均は35%なので10ポイントも高い。非正規労働者の多くは、「既得権から疎外された」と感じますから、既得権益を叩いてくれる橋下氏を応援したくなるのでしょう。全国的に見て、大阪は失業率ワースト5の中に入っていて、7%くらい。平均は5%弱です。生活保護受給者も就学援助受給家庭も全国でトップですし、ファミリー層から若年層まで総じて貧困化しているのです。時代の閉塞感とあわせて、橋下氏なら何かやってくれそう、と感じてしまったのでしょう。
でも非正規雇用が増えたのは、もちろん労働組合の責任ではなくて、新自由主義を押し進めた歴代政治の責任なのです。
例えば、橋下氏のブレーンといわれる堺屋太一さんは経済企画庁長官の時代、1999年に、派遣労働を解禁しました。「これからは正規ではなく、派遣や請負労働の時代だ。次々と好ましい仕事を労働者が選択できる。今までの年功序列や終身雇用は、もう時代に合わないんだ」と、非正規雇用を急増させる先頭に立っていた人なのです。そして小泉政権になって、製造業や日雇い労働にも派遣が可能になり、ワーキングプアという言葉が社会的大問題になるような世の中になっていったのです。
——なぜ大阪がそれほどまで貧困化していったのでしょうか?
二宮 関西財界の責任が大きいと思います。東京一極集中の裏返しとして、大阪からどんどん本社機能が逃げ出して、集積利益を奪われ、地域経済が沈下していきました。
次に大手企業、例えば家電業界が、輸出産業として大阪の下町の中小企業や工場に発注していた仕事を、21世紀になってから、アジア志向に切り替えた。昔は地域の人材や資源を、企業が利用して、会社を大きくしていったのに、下請け部門までアジアに移転させてしまった。つまり関西財界も大手企業も、大阪を見捨てたのです。
3つ目に、地域経済が沈下して失業者が急増しているのに、自治体が有効な対策を打たなかったことが挙げられます。地域が貧困化したら、自治体も困るのですが、福祉や医療などのセーフティーネットで、地域を再生する努力を怠ってきた。かつて吹田市が革新市政だった頃は、共働き夫婦が働き続けることができるように、保育・教育行政に力を入れました。 簡単に生活保護にいたらないように、高齢者医療や介護などにも力を入れ、貧困化を防ぐ努力をしてきたのです。しかし、大阪府、大阪市をはじめ、巨大な開発には力を入れるものの、肝心の住民生活を守る施策については、近年、カットし続けてきたのです。つまり経済が沈下する中で、大阪府民は行政からも疎外されてきたのです。
だから橋下氏が「大阪市役所をぶっ壊す」とダブル選挙で叫んだ時、少なくない大阪市民が、「よく言ってくれた」「スッとした」と拍手を送ったのだと思いますよ。
——そんな橋下氏をテレビなどのメディアが持ち上げていたのも、大きな理由の1つではなかったでしょうか?
二宮 そうです、メディアの責任も大きい。既得権を叩くという手法は、実はナチスドイツのやり方なのです。
ヒトラーは「敵に対する攻撃は、仮借なく、徹底して行うべし」と述べています。積極的に攻撃を続けることで、「攻撃する側に正義がある」と大衆は理解する。社会が混沌としている時は特にそうですが、徹底して攻撃し続けること、一歩も引かないこと、少々間違っても攻め続けること。ちょっとでも引くと、テレビや新聞に突っ込まれるので、常に勢いある強気の姿勢でのぞむ。例えば、大阪市役所の労組が選挙支援のリストを作っていた、と維新の会の市議が、リストを問題にしましたが、後になって、それはねつ造だったことがバレましたね。橋下氏はあの時、ちょっと迷って、一旦謝罪したのです。でも翌朝になって「労働組合のぬれぎぬを晴らしてやった」と開き直ったのです。リストねつ造問題で一歩引くと、市役所職員への思想調査アンケート、庁内メール盗み見など、全てがマイナスに回転してしまう。ですから一夜明けて、一転して強気の姿勢で記者会見に臨んだのだと思います。
テレビや新聞が、橋下氏の一挙手一投足をただ単に追いかけて報道するだけでは、結果として彼の宣伝になるだけです。彼の政治手法を分析して、政策の中身を評価、批判しなければならない。それが本来のジャーナリズムです。
——リストねつ造問題に加えて、庁内メールの盗み見や、業務命令としての思想調査アンケート、卒業式君が代斉唱での口元監視事件など、どれ1つとっても「政治家として終わり」のような事件が続いているのに、なぜ彼だけ責任を問われないのでしょう?
二宮 これが国会の場、例えば大臣ならおそらくどの事件でも辞任に追い込まれているでしょうね(笑)。なぜ橋下氏だけが責任を追及されないのか?これもまたメディアの責任と言わざるを得ません。テレビや新聞が橋下氏の手法に飲み込まれて、萎縮しているのです。某テレビ局が橋下氏にちょっと批判的な特集を組むと、翌日の記者会見で、彼は質問もされていないのに、某テレビ局だけ吊るし上げて非難する。そんな姿を見せつけられて、新聞記者やテレビのレポーターやコメンテーターが、彼への批判的コメントを一種のタブーとして控えている状態です。おそらく彼はタレント時代の経験から、テレビや新聞との付き合い方を知っているのかもしませんね。
——橋下氏は吹田市にある府立国際児童文学館を廃館にするとき、職員の勤務状況を盗撮しました。今回の庁内メール盗み見事件もそうですが、これは明らかに犯罪ですよね。なぜここまでやるのでしょうか?
二宮 これは彼の弁護士としての経験が、後押しをしているのではないでしょうか?例えば、税務署職員が脱税疑惑で家宅捜査をする場合、「違法な捜査方法であっても、最後に何か1つ、どんな小さなことでも脱税の証拠が見つかれば、捜査はとがめられない。何が何でも証拠をつかむことだ」と知り合いの税務署職員が言ってました。警察や検察の別件逮捕と似たようなことですね。つまり彼は「権力者の論理」を知っている。アンケートで多少、思想信条の自由を踏みにじっても、君が代で立たなかった教師への制裁を行っても、常に強気で、自分がやりたいようにやる。そんな過剰なまでの自信があるのでしょうね。
でもこれが欧米メディアなら、そんな「権力者のやりたい放題」に対して、反対のキャンペーンを張りますよ。権力者が人々の自由や人権を侵害することは、絶対に許してはならない、それが歴史から学んだ民主主義の原則です。権力者が暴走をはじめたら、新聞、テレビはそれをチェックし、ストップさせねばならないはずです。新聞は本来、社会の木鐸なのです。
——そんな橋下氏が、今は大阪市役所の労組を徹底的に叩いています。この真の狙いはどこにあるのでしょうか?
二宮 彼にとって、既得権とは社会権なのです。労働基本権は、教育権や生存権と並ぶ社会権です。この社会権は競争とはなじみません。例えば「全ての子どもは教育を受ける権利がある」「人には健康で文化的な最低限度の生活をする権利がある」ことは憲法で守られているのですが、「ジャングルの中の生存競争を生き残れ!」と鼓舞する橋下氏にとっては、そんな権利を生ぬるく感じているのでしょう。
ヒトラーが登場したとき、ドイツの左翼や労働運動は当時の世界最高レベルの勢力でした。この勢力と対抗するため、ヒトラーは、賃金や雇用は競争の中で勝ち取るものだ、と社会権を否定していきました。競争は闘争であり、それは戦争につながっていきます。橋下流の考え方もこれと似ていて、「あらかじめ全ての人間に与えられた権利なんてくそくらえ」と、社会権を敵視していきます。さすがに労働基本権そのものが不要だとは言えないので、その象徴である労働組合そのものを全否定したいのです。だから「労働組合は政治に口を出すな!」とキャンペーンを張って、労組そのものをバッシングする。彼にとっては、労働組合という存在そのものが気に入らないのでしょう。
——公務員の労働組合事務所が庁舎にあるのはおかしい、出ていけ、と迫っていますね。
二宮 民間の労組も会社の中に事務所があるでしょう?同じように、公務員労組も、労使の合意に基づいて事務所を置いているはずです。互いに仕事を進める上で、労使慣行のルールに基づいて、歴史的に職場の自治として勝ち取ってきたものです。それを今さら取り上げていくというのは、先人たちが苦労して勝ち取ってきた労働条件や、職場環境までを破壊するような反動的な行為ですね。
——そんな橋下氏が市民向けに、「収入の範囲で予算を組む」と言います。その論理で敬老パスの廃止や、国保料金の値上げなどが進められていきます。
二宮 福祉だけでなく、治安や防災、教育など公共の課題というのは、「社会全体で最優先でやらねばならない」のです。例えば火災が起きれば、消火活動に全力を尽くす。お金がどうだとか、財源は?などは後回しで対処するのです。橋下氏は知事になってすぐに「財政非常事態宣言」を行い、吹田の井上市長もそれにならって、非常事態を宣言しました。結論から言うと、これは市民を騙す方便であって、なるべく公共サービスをカットして、浮いたお金を開発に回したいという本音を隠すものです。 国が交付金を大幅にカットしたため、確かに地方の財政はピンチです。「臨時財政対策債」というのは、国が交付税を交付できないので、後から国が補填する借金です。橋下氏は知事1年目に、「こんなに借金がある」と言ってましたが、2年目に気づいて、臨時財政対策債については、借金だとはいわなくなった。井上吹田市長は、まだこのことに気づいていません。いまだに「借金だ、ピンチだ」と。「収入の範囲で予算を組む」と言いながら、市民サービスを削っています。橋下氏の方が、まだ多少正しい知識をお持ちのようです。 いずれにしろ、橋下維新の会が目指すものは、教育や福祉、医療とあわせて職員の人員態勢も削っていきながら、民営化をすすめ、行政はその公共としての責任を放棄していく。彼はよく、大阪都にしてシンガポールや上海に負けない都市に、と言いますが、ひねり出した金で、「国際的競争力を持った都市」を創る、というものです。
——最後に、橋下氏を代表とする維新の会は、国政進出を狙っているようです。
今後どうなるのでしょうか?
二宮 7月末からのオリンピック期間中は選挙ができないでしょうから、衆議院の解散は6月かもしれません。その際、消費税を引き上げてからの話し合い解散か、民主と自民が合意せず、税率引き上げの前に解散か、で状況は変わってくると思います。どちらの場合でも、橋下氏の強烈なパフォーマンスが大々的に報道されるでしょうから、維新の会は政界に進出していくでしょう。 この状況は、05年小泉内閣の郵政解散選挙と似ています。あの時国民は、小泉氏の派手な言動に幻惑され、自民党に300を超える議席を与えてしまった。その結果、後期高齢者医療などの医療崩壊、派遣切り、貧富の格差拡大など、国民の怨嗟の声が充満し、09年の政権交代につながった。しかしその政権交代も、見事に期待を裏切られ現在に至っています。小泉改革が失敗だったことは、この10年の歴史が証明しています。今度もそうならないように、私たちは10年単位の長いスパンで政治を冷静に見ていく必要があると思っています。
——そうですね、私たちに求まられているのは、「騙されない冷静さ」かもしれませんね。一時のムードやイメージに惑わされず、平和や暮らしを守るためにどうすればいいか、しっかりと考えていきたいと思います。今日はありがとうございました。