餓死した牛の頭蓋骨と東電への抗議看板が並ぶY牧場
ピーピピッピー。線量計からアラーム音が鳴り響く。「8マイクロ。8・4、8・56…。あー9マイクロ越えちゃった」。ここは福島県南相馬市と浪江町の境界、Y牧場のゲート前。餓死した牛の頭蓋骨が並び、「東電、国は大損害を償え」「殺処分反対」などペンキで書かれた怒りの看板。3月13日、福島第1原発20キロ圏内の立ち入り禁止区域に入った。ゴーストタウンと化した、半永久的に住めなくなった故郷。原発から「風下の町」をレポートする。
(編集部)
案内していただいた横川夫妻「最初にこの検問所を通過する時は緊張したけどね、今は慣れちゃった(笑)」。本日、私を案内してくれるのは、南相馬市原町区で、和洋菓子店「松月堂」を営む横川徳明さん、千代さんご夫妻。
南相馬市役所から横川さんの車で国道6号線を南下すること10数分、前方に機動隊が検問所をつくっている。
許可証を見せて、圏内に入る。6号線を南下、人もすれ違う車もいない、不気味な静寂が続く。国道左手の海側は、津波で流され何もなくなってしまった平原。その向こうに波しぶき。「ここから海が見えるなんてねぇ。風景がすっかり変わっちゃったね」ハンドルを握る横川さんがつぶやく。
かつての田んぼ、家屋だったところに津波で流された車や自動販売機。一年前、3・11のまま、時が止まっている。
20km圏内に設置された検問所
検問ラインから10分も走ると、松月堂の倉庫。横川さん夫妻が、海が見える国道脇に花を手向ける。「この辺りは津波で亡くなった人が多くてね。月に一回は圏内に入るから、こうして花を供えてるの」と奥さん。花のそばに小さなお坊さんの人形を置く。「この人形、お経をあげてるの。お坊さんが来れないからね」。
倉庫から、「見えるようになった」数キロ先の海岸へ。海への道は3・11の時点のまま。あちこちに地割れ、そして津波で流された自動車や自動販売機がかつての田んぼに転がっている。
海岸沿いにガレキの山。自衛隊と警察がガレキを一カ所に集め、積み上げた。ガレキの上に線量計を置く。数値はじわじわと上昇し、0・8マイクロ。申し訳ないが、このガレキは全国に拡散させず、「低レベル放射性廃棄物」として安全に県内で処理するしかないだろう。
花の右下にお経を読むお坊さんが
何台かの自転車は「主人」を失っている…常磐線の小高駅へ。駅前商店街は地震で崩れたままの状態。駅のそばに自転車駐輪場があり、たくさんの自転車が倒れたままになっている。この駅からたくさんの中学生、高校生があの日も通学していた。「通学用自転車 富1中031」
「Odaka Technical High School 08-190」。富岡町第一中学、小高工業高校生の自転車だろうか。
「中高生も津波で流された子がいてね。家も流されたので、形見はあの自転車だけ、という子もいるのよ。でもここが立ち入り禁止区域でしょ。形見の自転車さえ、取りに来れないの」。奥さんの横川千恵さんが、「地元の人しか知らない情報」を伝えてくれる。この地震で倒れた自転車の何台かは、主がいなくなって1年、ここでひっそりと倒れ続けているのだ。
何という「明るい未来」なんだろう…