ジャーナリスト 西谷文和
すいた市民しんぶんVol.27(2012)
「国境」のフェンスには一カ所穴が開いていた。深夜1時、オリーブ畑を歩くこと30分、とうとう「シリアへの入り口」にたどり着いた。数十メートル先にはトルコ軍国境警備隊の監視小屋。時折ピカッ、ピカッと監視小屋からの灯りが射し込む。ルパン三世みたいやなー。緊張で心臓バクバクなのだが、どーでも良いことが頭を巡る。暗闇の中、ハーハーという息づかい。難民の家族がぬっと現れた。頭に家財道具を乗せて、子どもの手を引き、トルコ側へと逃げていく。私は難民たちが逃げてきた方向、つまりシリアへと足を踏み出す。そんな「違法入国」で見た現実は…。
「あの煙のあがっている所がアレッポだ。戦闘機による空爆だよ」。自由シリア軍兵士の車に乗って、その煙のあがっているアレッポに向かう。シリアではアサド政府軍と自由シリア軍との血で血を洗う内戦が続いているのだ。兵士たちの隠れ家は、かつてのパーマ屋さんだった。店の人々はすでに逃げていて、20人ほどの兵士がカラシニコフ銃に弾を込めている。
3階が広間になっていて、兵士とごろ寝。午後11時過ぎ、うとうとしかけた頃に、ドッカーンと爆音が響く。
慌てて飛び起きたのは私だけ。兵士たちはすやすやと眠っている。
大通りの向こう側、塹壕前で兵士たちがお茶を飲んでいる。小走りに兵士たちのところへ。
兵士たちによると、昨晩聞いたあの爆音は、地対地ミサイル、ハウワーンというもので、一晩で22発撃ち込まれたという。そんな話をしていたら、「俺に着いてこい。爆撃の跡を見せてやる」と1人の兵士。
兵士の後ろをついて狭い路地を行く。大通りに面したところで兵士が立ち止まる。「3、2、1、ゴー」
走り出す兵士の後をついて、大通りの景色を撮る。通りの中央分離帯のところに大穴。2日前の空爆によるものだ。すすだらけの黒くなった商店。2階から煙がまだあがっている。
大通りの対岸にも路地があって、そこに駆け込む。どうやら路地に入っていれば、撃たれることはないようだ。
隠れながら、走りながら塹壕まで戻ると、ミサイルの破片が並んでいる。「撮れ撮れ」と兵士たち。「アサドがいかにひどいことをしているか、報道してくれ」。
その中に、「俺はヤバニーヤ(山本さんのこと)の棺を担いだよ」という兵士がいた。山本さんの殺害現場は、ここからそれほど離れていない。
英語をしゃべる兵士サム(仮名)を通訳にして、アレッポの町を行く。最前線の防衛ラインへ。敵とは300メートルしか離れていない。アレッポは世界遺産にも指定されている古い街並。町全体が入り組んだ路地のようになっていて、敵がどこから現れるか分からない。塹壕を出れば恐怖の連続だ。
大通りを行くと、長蛇の列に出くわす。
パンを買いにきた人々だった。内戦が1年半も続いているので、この町は慢性的な食料不足。そんな取材をしていると、ドーンという大きな爆音。近いな。
さらに進むと、もうもうと煙が立ちこめているのが見えてきた。さっきの爆音。あれはミグ戦闘機からの空爆で、住宅密集地から黒い煙。
住民たちが避難を始めている。軽トラックに家財道具を積む人々。トルコへ逃げる準備だ。
午後2時頃、戦闘がピークに。あちこちでパンパンパンと銃撃戦の音がこだまする。シュルシュルシュルーと不気味な音がして、ドッカーンと爆音が続く。ハウワーンの連射。生きた心地がしない。隠れ家の兵士は「ノープロブレム」と笑うが、すぐ先のモスクに落ちて、モスクから煙が上がっている。
夕刻4時、ようやく「ハウワーンの雨」が止む。今度は戦闘ヘリがやって来た。空から銃撃している。地上から応戦しているのだろう、パンパンパンという銃声が響く。これ以上、ここにとどまるのは危険だ。
午後5時、アレッポの町を出る。上空にはまだアサド軍のヘリがいる。この車が狙われるかどうか、「神のみぞ知る」。運を天にまかせて、ゴーストタウンとなったアレッポの町を突っ走る。やがて日没。もう大丈夫だ。あとは夜の帳が下りるのを待ち、あの国境を無事越えられるかどうか、だけだ。
空爆が続くシリアでは、連日100人単位で民間人が殺され、怪我人が多数病院に担ぎ込まれている。一刻も早く、この空爆=大量虐殺を止めなければならない。ここで紹介する写真はほんの一部だが、戦争をすれば犠牲になるのは女性や子どもだ。日本でも尖閣問題を契機に、「中国をやっつけろ」「国防軍を作れ」と叫ぶ政治家が目立っている。しかし戦争をすれば、このようになる。決して戦争だけはやってはならない。それを身をもって感じたシリア取材だった。