連日、テレビや新聞で「日本維新の会」の一挙手一投足が大きく取り上げられている。当初、次の選挙で大勝利するのでは、と予想されていたが、10月に入って支持率急落。橋下人気にもかげりが出てきたようだ。かつては飛ぶ鳥を落とす勢いの維新だったが、なぜ急速に人気がしぼんでいったのか、私なりに分析してみたい。
カジノ・風俗で大阪経済を元気にする
「台本が古すぎますよ」。橋下市長は、文楽を観劇した後、記者団にこう述べた。
ちょっと、ちょっと。古典芸能なんやから、台本が古いのは当たり前。「古きを温めて新しきを知る」。文楽から学ぶことはたくさんあるはず。江戸時代から続く無形文化財の文楽に対して「台本が古すぎる」とは…。私はこの新聞記事を見て、空いた口が塞がらなかった。続けて彼は言った、「ラストシーンにぐっと来るものがなかった」。
近松門左衛門の曾根崎心中にケンカを売る政治家は、日本、いや世界広しといえど、彼くらいだ。
橋下市長の文化嫌いはすでに有名となっていて、例えば、大阪フィルハーモニーや大阪市音楽団への補助金カットだけでなく、ワッハ上方をはじめ、演劇や音楽鑑賞の舞台となるドーンセンターやクレオ大阪などにも「廃館攻撃」をかけている。
文化が嫌いな橋下市長は、逆に「カジノ、風俗など猥雑なものはすべて大阪が引き受ける」と言う。大阪湾岸にカジノを開き、「大阪経済を元気にする」=バクチマネーでカジノ経営者を喜ばせ、多くの破産者を生み出す、ことを約束する。
ウソつきは政治家と弁護士のはじまり
こんな政治家、本当に首相にしてもいいの?と感じたのは私だけではないだろう。
彼が弁護士時代に書いた「まっとう勝負!」では、「ウソをつけない奴は政治家にも弁護士にもなれないよ」とある。ご丁寧にも「ウソつきは政治家と弁護士の始まりなの!」と強調する。
とある代議士が学歴詐称で辞職したことについて、彼は「学歴詐称などたいしたことはない」と言い切る。
理屈はこうだ。人間ウソをついたことのない奴などいない→海千山千の相手をねじ伏せるためには、真実一路のおぼっちゃまでは乗り切れない→政治家は、日本の将来ビジョンを示す仕事が大事なので、経歴詐称などたいしたことがない。
みなさんはどう思われるか?
確かに長い人生の中でウソをついたことのない人など皆無に等しいだろう。しかしウソには2種類あるということを彼は理解してないのではないか。
例えば、宿題を忘れて「先生、犬が宿題を食べちゃったんです」などのウソと、選挙に立候補した候補者が、有権者に「アメリカの大学を出た」というウソ。前者のウソと後者のウソを同列に扱うわけにはいかない。選挙での公約や経歴は、絶対にウソをついてはいけない。そこでのウソは人としての信義にもとる。
学校選択制は全ての親が望んでいる
彼は堂々とウソをつく。たまたま見ていたテレビで、教育問題を議論していた。橋下市長は、学校選択制の推進者だが、「学校選択制なんてね、全ての親が望んでいるんですよ。でもね、教育委員会が邪魔をして、選択制を導入しない。親のニーズに合っていないんですよ」とまくしたてた。この時、他のコメンテーターは、彼の迫力にたじろいだのか、じっと拝聴しているだけだった。
私はこの時、思わずテレビに突っ込んでいた。「学校選択制を全ての親が望んでいる」って、いつ、だれが調査したんや!少なくとも俺は小学生の親だが、望んでいないぞ!
実際、学校選択制は非常に問題がある制度で、人気校に生徒が集中し、不人気な学校は廃校になるリスクが大きい。小学校が廃校になれば、その地域にとっても大問題だ。義務教育である小中学校は、親の希望も大事だが、「公共性、平等制」も大事なのではないのか。
馬脚を現わしてきた橋下維新の本質
昨年の地方選挙では「維新」と名乗っただけで、首長や府市会議員が当選した。しかしここへ来て、「橋下維新の本質」が馬脚を現してきた。有権者が「橋下改革」の危険性に気づき始めたのだ。
実は吹田市長も橋下維新の一員である。親分の橋下大阪市長がバッサリと福祉や文化を削っていくので、それに習って吹田でも福祉の切り捨てをしていこうというつもりのようだが、世論は変化している。
「子育てするなら吹田」「福祉の吹田」といわれてきた吹田市が、このまま「維新の方針」どおり福祉切り捨てで進むのか、世論の変化に気づいて、軌道修正できるか、吹田市の方針が問われている。