吹田市には岡本太郎の屋外作品が三つある。万博公園の「太陽の塔」は、誰でも知っている。しかし、あと二つは案外知られていない。聞けば、その二つは江坂の豊津公園付近にあるという。じゃあ、みんな見てみよう。ということで、今回は、「吹田・岡本太郎を巡る旅」。さて、どんな出会いが待っているのだろうか。
■「太陽の塔」は、胎児を育てている?
これは金のトリ、アンテナ?何かをチャッチしようとしているんだ
お腹に胎児を育てる!これも未来へのコンスピラシー!(策略)
ボクも未来へのツバサを広げた
まず、万博公園に行こう。万博公園は、豊かな緑に包まれてきている。その緑の中に、ドカーンと「太陽の塔」が建っている。高さ65メートル、やっぱりでかい。鳥のようなキンキラの顔、これは未来を感じ取るアンテナだろうか…そして、おなか部分にも顔がある。僕には、おなかの中の胎児に見える。かわいくもあり、怖くもある。一体、この「太陽の塔」は、何を表現しようとしているのだろうか…
ここで、1970年の万博、「太陽の塔」誕生の頃を振り返ってみたい。「70年万博」のテーマは「進歩と調和」だった。当時は、技術優先の時代、技術が未来を切り開くと信じられていた。しかし、「進歩と調和」の「進歩」ばかりが前に出て、「調和」の中身がスカスカだった。「調和の内実を作らなければいけない。でないと、万博は庶民から見捨てられる!」と、主催者側が感じ始めていた。そこで、当時の新井真一事務総長は「お祭り広場」のプロデューサーとして、人気絶頂の岡本太郎を抜擢した。「芸術は爆発だ!」と語る、岡本太郎なら、「調和の内実を造ること」ができる、新井はそう考えた。岡本太郎は悩んだが、意を決めて「太陽の塔」のプランを提出した。丹下健三の建築の天井を胎児のような顔が突き破っている!これは、岡本の挑戦だった。このプランを見て、すべての関係者は度肝を抜かれた。「陳腐なコケシ」と怒る人がいた。しかし、当時の万博協会長、石坂泰三は「これさえあれば万博は成功だ。他に何もなくていい」とまで、語った。この一言で「太陽の塔」計画は、劇的に実行に移されていったのである。
やがて、「お祭り広場」の天井がぶち抜かれ、キンキラな鳥のような顔が現れた。岡本太郎は「人類は進歩なんかしていない。何が進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。ラスコーの壁画だって、ツタンカーメンだって、今の人間にあんなもの作れるか」と吠えた。結局、「太陽の塔」は、万博の圧倒的なシンボルになった。これが「太陽の塔」誕生の物語である。岡本太郎が「太陽の塔」に込めたのは「万博そのものを突き破れ!」というメッセージである。「太陽の塔」は、今も、僕らに「自分自身の殻を突き破れ!」というメッセージを送り続けている。そんな岡本太郎の思いを受け取り、僕も、ゆっくりと大きく両手を広げてみた。おなかに胎児を育て、未来に飛び立つ鳥のように…。
■「リオちゃん」誕生の物語
「リオちゃん」は豊津公園にいた
次は、江坂の豊津公園へ行こう。公園の東側に「リオちゃん」と呼ばれる岡本太郎の作品があった。ギラギラとする太陽のような顔。大きな目玉。その真ん中に青い稲妻が走る!カラフルで可愛いい。この「リオちゃん」は、1983年にダスキンが開店した「江坂カーニバル・プラザ」というレストランの看板であり、キャラクターだった。店は、「リオのカーニバル」をイメージした雰囲気で、生演奏の中で食べる「カニ」が売りだった。リオのカーニバル…そこから「リオちゃん」という愛称が生まれた。
しかし、2007年に「カーニバル・プラザ」は閉店、「リオちゃん」は吹田市に寄贈された。それ以後、吹田市立博物館で「岡本太郎展」が行われた際に、「リオちゃん」も出展され、そのまま、博物館前に置かれていた。しかし、2011年、「リオちゃんを生誕地・江坂へ里帰りさせよう」というムーブメントがおき、現在の豊津公園に移された。この公園の前には、ダスキン本社ビルが建っている。彼女は、故郷に帰って来たのだ。
■「みつめあう愛」は 男と女の戦いの物語か…
ボクも岡本太郎とアートを競ってみた
上が女で下が男!男が敗けている!
巨大な陶壁画の題は「みつめあう愛」ということだ
このダスキン本社にも岡本太郎作品があった。ダスキンビルは二つあり、その二つをつなぐ渡り廊下に、縦8メートル、横4メートルの巨大な陶壁画がそびえ立っている。題は「みつめあう愛」、上の方に女性の目が二つ、下の方に男性の目が二つ。僕には、見つめ合うというよりは、男と女が戦っているように見える。「愛は戦いだ!」と、岡本太郎が叫んでいる・・。しかし、「リオちゃん」といい「みつめあう愛」といい、岡本太郎とダスキンは、なにやら深い関係がありそうな気がする。調べてみると、「みつめあう愛」は、1988年に岡本太郎がダスキンのCMの出演した時、製作されている。その5年前に、岡本太郎は「カーニバル・プラザ」の看板を造っている。だから、「リオちゃん」の縁で岡本太郎のCM出演が実現したと考えられる。
■吹田を岡本太郎の町にしよう!
さて、吹田における、三つの岡本太郎作品を巡ってみた。岡本太郎の初々しいスピリットを浴びて、何だか、すごく元気になった。ところで、ダスキンという会社の社名は、「ダスト・クロス」と「ぞうきん」の合成語であるが、もう一つ、異説がある。ドイツ語の「ダス・キント」、これは「こどもっぽいこと」を意味する。今回の岡本太郎を巡ってみて、僕が感じているのは、この「こどもっぽい」という精神の初々しさだ。「ダス・キント!…いくつになってもこどもであれ」、これが「突き破れ!」という岡本の叫びにつながる。
吹田の町に散りばめられた、かけがえのない岡本太郎の屋外作品。吹田と岡本太郎、この縁をもっと活かすことができないか…。例えば、吹田の町に、岡本太郎のモニュメントを集めて、町そのものを「岡本太郎博物館」にする。そうすれば、きっときっと、世界中から、アート・ファンが吹田に馳せ参ずることだろう。
(了)
■参考資料■
岡本太郎・太陽の塔と最後の戦い」>平野暁臣著 PHP新書
「太陽の塔」森見登見彦 新潮文庫
「民博早わかり」梅棹忠夫 千里文化財団発行
太陽の塔をテーマとする多くのホームページ
(株)ダスキンのホームページ
太陽の塔:吹田市千里万博公園10
みつめあう愛:吹田市豊津町133(ダスキン本社ビル)
リオちゃん:吹田市豊津町7(豊津公園内)