今年の4月上旬、内戦が泥沼化しているシリアに潜入した。トルコから「秘密のルート」を通ってシリアに入った途端、難民キャンプが延々と続いていた。
激戦地アレッポで、家を失った人々に食料を配布していったが、その時もズドーン、ズシーンとミサイル攻撃が繰り返されていた。子どもたちは「怖くて夜も眠れない」と証言し、精神的にも追い込まれていることが分かった。このまま放置できないのに、国際社会は有効な手だてを打てないでいる。
アレッポで出会ったアブドルサラーム君(4)は、脳に異常を来していた。1歳の時に内戦が始まるまでは正常だった。「あまりの恐怖で、身体障害者になったんだ」と叔父は訴えた。
アトマ難民キャンプを通過中に大規模な火災があった。ガス爆発でテントが燃え上がっていた。難民たちは着の身着のままで逃げているので、粗末なコンロでの調理中にガス爆発を起こしたのだ。戦争さえなければ、こんなことにはならなかった。粗末なテントでの生活は、すでに4年目に入っている。
私は日本のみなさんから預かった募金で、粉ミルクや小麦を購入し、難民に配布していったが、焼け石に水だった。あまりにも大量の難民が発生し、そのうえに国内は非常に治安が悪いので、支援物資が届かず、行き渡らないのだ。
シリア国内のクリニックには栄養失調の子どもが多数入院していた。母親が飢えてしまって、母乳が出ないのだ。「シリアのアフガン化」が起こっていて、赤ちゃんが簡単に死亡している。そんな状況だからこそ、また支援物資を届けていきたいと考えている。まとまった金額になれば、再度、シリア側のキャンプに入って、支援を続けていきたい。