SUITA市民しんぶんVol.9(2008)
足かけ7年にわたって、多くの吹田市民が反対してきた、梅田貨物駅の吹田移転。残念ながら住民投票は実施されず、市長選挙では推進派の現職が当選してしまったため、とうとう工事が始まった。公害道路建設工事は今後5年間も続くと予想され、周辺住民は夜間工事の騒音に悩まされる。そんな中「せめて公害道路をドーム化してほしい」と、署名運動が始まった。昨年の12月17日、吹田メイシアターで「吹田市民大集会」が開催され、「公害を低減させるため、粘り強く闘おう」と、あきらめず運動を続けていくことが確認された。
「07年4月の市長選挙で、推進派の現職が当選し、梅田貨物駅が吹田に移転されることになった。公害道路ができるのは、もう仕方がない。しかし大気汚染が心配だ。ドーム化を求める署名を集めて、吹田市長とJRに要望し、局面を打開していきたい」。藤井幸雄泉町1丁目自治会長が決意を表明。さらに、「JRの幹部と相談していたら、『市長がドーム化してほしい』と要望すれば、それは考慮せざるを得ない、と表明した。市が住民の要望を取り入れてくれるかが、カギだ」と、ドーム化は決して実現不可能な要望ではない、と展望を示した。
粘り強い闘いで、阪神高速淀川左岸線はふたかけ方式に変更された(中津付近のイメージ図)
記念講演は、「大阪・中津コーポ高速道路に反対する会」の室哲夫さん。「公害道路」は阪神高速淀川左岸線のこと。
「自宅前に高速道路ができるという計画を聞いたのは、マンションの入居説明会で、鍵を手渡された時。『窓から見える淀川の眺望は最高ですよ』という説明の後、『実はそこに6車線の高速道路ができる』と言うのですからね」。1971年、万博直後のことだった。以後、室さんたちは「高速道路に反対する会」を結成、なんとこの運動は36年間も続く。
阪神高速公団とはいえ、相手は国でしょ?粘り強く闘う中で、絶対反対から『道路に蓋をかけろ』という運動に変わって行きました。保守的な地域で、『ビラなんか配ったことがない』といわれる地元を説得して、市民運動を繰り広げました」。
長年の闘いで、高速道路計画はトンネル方式に改善された。「黙っていてはダメです。公害道路はアカンという声を上げ、改善を勝ち取りました。吹田でもドーム化は可能だと思います」。
会場からは「十三高槻線が開通したら約2万台の車が通る。JRの公害道路とあわせてダブルパンチだ。公害道路をドーム化する要望は、十三高槻線にとっても死活問題」「ドーム化という改善策を聞いて、これは実現させてほしい切実な要望だと思った」。などの発言が相次いだ。
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東京では住民の声を受け入れて、道路をシェルターで囲って、公害の原因となる物質を取り除き、クリーンなガスを排出するシステムが実現している。東京でできていることを大阪でできないはずがない。吹田市やJRが本当に住民の健康を考えているのかどうかが問われている。